中国化、というキーワードで強い印象を残した著者が、鬱病を経て出版した著書。
近著である「歴史が終わる前に」、「荒れ野の60年」で、この今現在の時代精神や政治風土の荒れる様をリベラルの立場で断罪するのではなく、その状況解釈を丁寧にコトバで著述しようとしている。その前置き、が本書。平成における知性の敗退を、著者の病気体験による気付きのなかで、言語と身体という切り口で述べている。
筆者の体験と、政治状況の解釈が噛み合っている訳ではないが(2冊の本を読んでいるような感覚はある)、しかし発想の回路が提示されることで、読んでいて不思議と腑に落ちるような感覚もあって、その試みは(読む力、記憶力が減退している私にも、何らか)伝わっている部分もあるのだろう。
鬱病の部分だけ読んでも、体験記として(不適切な表現だが)読ませるものがあり、負の体験のインプットによる、負のアウトプットとしての疾病、という捉え方が狭いものであることを知った。そのようなインプットがなくとも、何らかの脳内疾病による能力喪失がある、という理解はなかった。