K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

神長幹雄: 運命の雪稜(1999)、未完の巡礼(2018) 生からの距離、死までの距離

今月のように海外を渡り歩くと、機中での読書時間が十分とれる。それが楽しい。

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今年、山と渓谷の編集長であった神長幹雄氏の新著が出た。旧著と併せ読んだ。

旧著は運命の雪稜(1999)。ヒマラヤでの遭難を中心に、その様子を精緻に記録し、その死に至る要因を記録している。

 新著は遭難者達、の故地を訪ね、その想いを柔らかく記述している。

その間、おおよそ20年の時間が流れている。40代後半であった著者は60代後半となっている。描かれた「クライマー」、「冒険者」に関する記述も興味深いものであったが、著者と死者達の距離感、感情の変化のようなものが実に印象に残った。

前著は死者との十分な距離を保ちながら、死に至る時々刻々の出来事を記録している。そのなかで死を意識しながらも、生の輝きを得るために挑み続けた「彼ら」を描くことで、レクイエム(鎮魂曲)としている。もう語ることが出来なくなった「彼ら」の代わりに死の直前まで灯っていたであろう「生の輝き」が偲ばれる。

運命の雪稜―高峰に逝った友へのレクイエム

運命の雪稜―高峰に逝った友へのレクイエム

 

近著は、そのような死者達との交感の書であり、そのなかでの甘美な記憶の書。前著の主役が死者達であるならば、この本の主役は残された生者たる著者である。前著のようなキレのある文章ではなく、著者の追憶をともに歩む。その遡行する年月の長さ、が上質の醸造酒のような香り、を放っている。

ともに全く異なる味わいを持つ著作であり、それぞれ死者達の生からの距離、著者の死までの距離 に焦点をあてたような感じで、併せ読むことで幾重にも重なる時間の流れを感じるという、面白み、があった。

 

このような感覚には既視感がある。1980年代の中頃に読んだ「マッターホルン北壁」の小西政継。短時間にその著作を読むことで、山岳というよりは生きることのタクティクスを学んだ間隔がある。

マッターホルン北壁―日本人冬期初登攀 (yama‐kei classics)

マッターホルン北壁―日本人冬期初登攀 (yama‐kei classics)

 

その時期に出た本が「ボクのザイル仲間たち」。小西が付き合った山の仲間達へのレクイエム。全員ではなかったが、多くは故人でその追憶の書。やはり独特の甘さ、が魅力の本だった。そのときの小西は50歳前後。その後の10年、先鋭的でない有酸素とシェルパ有りのヒマラヤ登山を楽しんでいたが、マナスルで消息を絶った。希求したアルパインスタイルではない形ではあったが。そのあたりが神長の著書にも記載があり、何重にも生と死を交叉させるような読書に耽溺してしまった。

ボクのザイル仲間たち

ボクのザイル仲間たち