K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

小西政継:マッターホルン北壁(1968) 


この本をときどき手にとる。早いものだ、小西政継さんが(彼にとってハードルが低い筈の)マナスルで遭難死されてから14年が経っている。彼岸の彼方でどうされているのだろうか。

ボクの山登りは初級編で発展性はない。ただ力に任せて、疲れ果てるまで歩きたいだけのもの。岩壁登攀の世界は遥か彼方であり、手を染めたこともないし、予定もない。

1960年代後半から1980年代前半まで、前衛的な登攀を追求した山岳同志会の小西政継さんをここで取り上げるのは、実は登山ネタではない。勿論、この署を手にした20代中頃、毎月のように山に登っていた時期であり、その興味からこの書を手にとった。1967年の冬季アルプスの北壁登攀の記録であり、純然たる山の本。

そうなのだけど、山の本として魅力もさることながら、ボクにとって、コドモのような生き方からオトナになるということの意味を考える原点となった。ボクにとってのオトナの在り方、専門職としての高み,を志向したからこそ、第二の人生を金澤で過ごす契機を掴むことができた。生き方を再び緩慢と考えている今、再び手にとり、かつての思考の軌跡を辿ることがある。

著者はボクの両親の世代。戦争で父親を失い、家庭の経済事情から中学卒業後に印刷会社にオペレータとして勤める。進学の断念が蹉跌となり、重く沈殿している。それがバネとなり、趣味ではじめた登山のなかで自己実現の夢をふくらませる。そして日本レベルでなくて世界レベルの登攀を強く指向する。1960年代中頃、海外旅行の自由化に伴い日本の代表的な登山家はアルプスの夏期北壁登攀を目指し成功させる。世界的には第二次世界大戦の前に終えた課題。そんななか、当時無名の彼らが世界の最先鋭であったマッターホルンの冬季登攀を目指し、成功させる。そして世界レベルに準ずる登山家となる。執筆当時30歳そこそこの小西政継であるが、覚悟のある生き方とその成功を成熟した筆致で書いている。

(1)自分の生き様を表現するモノに対し、その目標を世界レベルに据えること、
(2)世界レベルの実力を獲得するための冷徹なトレーニング、
(3)感情だとか気持ちだとかを超え,悲壮感や気負いとは無縁の実際的な行動や思考。

それにしても、とても切れのいい文章であり、初の著作と思えぬ完成度である。その後の数多くの著作と比しても、その魅力は群を抜いている。

厳しいトレーニングと、当時煩雑であった渡航手続きを済ませ、シベリア鉄道経由でスイスに入る。マッターホルンを擁するツェルマットへ列車は向かう。

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登山列車は針葉樹林を抜けてトンネルに入った。このトンネルを出るとツェルマット,そしてマッターホルンが眺められるということを僕は十分意識していた。一刻も早くマッターホルンを見上げたいとと思っていた僕の気持ちに、一瞬ではあるがわずかなためらいを感じた。自分のこの眼で実際にあおぎ見る北壁の第一印象が、僕の胸にどう感じるかが不安だったからである。
(中略)
暗闇の沈黙の中に新しい光がさっと射し込むとツェルマットであった。僕はぐっと首の痛くなるほどマッターホルンを仰ぎ見た。夕暮れの沈んだ空間にマッターホルンは天空を鋭く突きさしていた。北壁は暗くゆううつな黒い影をおとし、厳然として聳立していた。僕の凝視した眼が北壁からとかれた瞬間、僕の顔は笑っていた。確信に満ちた笑いであった。この時、北壁登攀の半分が僕の中で終わっていた。

小西政継「マッターホルン北壁」より引用
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この後、ボクはボクのマッターホルン北壁への長い道のりのなかにある。さて北壁を突破して、山頂の十字架には辿り着いたのか、それはボクにも分からない。厳しいトレーニングもしたし、沢山の小さな嶺は越えたのだけどね。