K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

服部文祥:サバイバル登山家(2006、みすず書房)題名の怪しさはともかく


 この本が出版されたときは、まだ前職で多忙な頃。気晴らしに山の本を集めていた。茗渓堂にもよく行った、ディスクユニオンよりは。山登りの代償行為だった、と思う。仕事を変えて、山登りを再開した頃から、山の本はあまり必要なくなった。深夜、書庫で密かに愉しむ山の空気、ではなく、気が向いたら山に直行、だからだ。きっと、足腰が立たなくなるまで、そうだろう。

 この本の存在は勿論知っていたのだけど、山の本を馬鹿買いしている頃に手を出さなかった。サバイバルという言葉が胡散臭かった、からだ。それは今でもそう思う。一昨日、羽田に向かう途中の本屋で開いて、思わず購入してしまった。イワナ釣りのあたりの記述、に引っ張られたから。

 内容はタイトルほど胡散臭くなく、食料現地調達の長期山行と冬の黒部横断。

 前者は担ぐ食料を限界まで落とせるので一ヶ月近い山行が可能という内容に驚いた。確かにそうだけど、そのようなスタイルを作り出す発想が面白い。なにより、イワナとともに生きていく感じに痺れた。確かに、釣り糸を伝わる振動から感じるモノ、への共感が強かった。ボクはそんな山行はしないけど、イワナを釣る感覚はまさにそう。

 後者は命削る壮絶な山行。生きていること、そうでないこと、のグレイ・ゾーンを生き抜く内容。並のヒマラヤ登山の記録より壮絶。酸素が濃いだけ。そのなかでの著者の心象が素直に綴られているので、面白かった。冬に大町から富山まで抜ける、雪崩れる雪壁を伝って、その凄みがハイライト。

 サバイバルという奇抜なキャッチは表面で、志水哲也の初期の著作に通じる瑞々しさ、を感じ、気持ちよく読了できた。その後の著作については、amazonの書評をみると見事に割れている。本書での「空腹時の物乞い的な意識」まで書いてしまうあたり(ボクは気にならない)がダメな潔癖なヒトはダメなんだろうな。サバイバル側面は味付けで、彼の奥底にある人間の原点への憧れ、のようなものは素直に面白い。そして、自然が持つ毒のようなものを排除したところで人間社会が成立している、という当たり前のことを強く感じた。エコ思想の欺瞞性(人間社会に生きている以上、原罪のように自然を蕩尽し尽くしているという点をさて置き、自己満足的正義感でツベコベ云われてもねえ)は嫌いなのだけど、そんな俗な話とは対極のごく個人的な満足感、であることが素晴らしい遊び、だと思うのだ。