K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

加古隆:Legend of the sea-myself(1977)現代音楽とのフュージョン

 日本の音楽シーンが大きく飛翔したように思える1970年代。何か大きなエネルギーが社会にあって、1980年までに頂点を迎え、バブル崩壊の頃にそのようなヴェクトルは雲散霧消したのではないか。1960年代の反米闘争たる反安保から全共闘運動の過激化と挫折、経済活動とともにその代償行為であったのではないか、と思う。奏者側にも制作側にも優秀な人物が多く入り込み、(音楽を含めた)経済活動が一気に世界化したのではないか。あるいは、1960年代までのストックが戦禍による損失を克服し、外貨自由化まで達した1960年代末、日本自体が再び世界に出て行った時期と重なるのではないか。

 そのような時代の熱気のなかで、ジャズも「コピー洋楽」の時代から急激に独自性を高めているように思える。この録音当時20代の最後であった加古も含め、富樫もそのような音楽的熱気の渦中だったのだろうな、と思う。

 1980年頃、コロンビアレコード(DENONデンオンがいつからデノンになったのか)の富樫のシリーズをよく聴いていたのだけど、熱気から一線を引いた、冷たい温度での室内楽的な演奏が好きだった。そのメンバーがこのアルバムと重なっている加古隆, 翠川敬基, 富樫雅彦, 中川昌三。作曲者とリーダが加古隆になった違い。より現代音楽的な色彩が強く、今のボクにはとても好みと合うことが分かった。

 加古がメシアンの弟子であることは知っていたが、メシアンの音楽を聴くようになったのはここ数年。そのような調性と無調の端境で、「音の美」を様々なフォルムで挑んでいくような試み、が面白く、思いもよらぬ音の美しさにはっ、とする瞬間が楽しい。そのような音たちと、ジャズの音(富樫)が淡い感じで交歓している様子が楽しい。翠川のチェロやベースも、二つの音の世界を漂っており、そのような無重力感を愉しませる。

 そう、この音楽は現代音楽とのフュージョンであり、現代音楽の宿痾のような「観念や思想の過多」を、ジャズを通じて身体性の碇で抑えたような音楽。打楽器の作る音が強い身体性を想起させる、そこに絡む冷たいピアノの音に、ぞくっとくるのだ。

 追記:この頃のトリオレコードは凄い。その後の経緯をみると、まさにトリオレコードや音響機器メーカの成長と衰退が日本経済と軌を一にしているなあ、と改めて思った。

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加古隆:Legend of the sea-myself(1977, Trio)
A1. Legend of the sea-myself
A2. Inori
B1. Ants
B2. Naissance
B3. Zone
加古隆(p), 翠川敬基 (b, cello), 富樫雅彦 (per), 中川昌三 (as, fl on B2, B3), 村田健司 (vo on B2)
1977年1月10日 東京ABCホールでのライヴ

裏ジャケットの写真。何とも時代やなあ。