正月の読書を今頃。
楊海英の本を読むのは、高校生の頃に読んだ西川一三の西域潜行記の続編を読むような、内なるオリエンタリズム的なもの、によると思っている。
西川一三の秘境西域八年の潜行は、蒙古語を学んだ著者が、密偵として昭和18年から張家口を出発、トムト旗のロブサン・サンボーと偽名を名乗り、内蒙古、青海、西蔵、シッキム、印度を踏破した記録。 様々な宗教、民族の民が入り乱れ、軍閥の地方政権下で生きる様子が描かれており、これがヘディンをはじめとする西域冒険譚の最終編となる。清朝末から民国期にかけてのカオスが、「解放」により終焉したから。読んだ頃は、日中国交回復後で、あのようなカオスの地が「解放後」にどうなったのか、殆どが入境禁止の時代で知られていなかった。
楊海英の一連の著書では、彼自身の出自である内蒙古のモンゴル人の弾圧、虐殺が明らかにされている。その経緯のなかで、満蒙に進出した日本人との関係が淡々と描かれている。
本書では日本軍により教育されたモンゴル騎兵が、チベット動乱時には解放軍の一翼として鎮圧にあたり、さらに文革時に粛清される。滅び行くものへの愛惜、そして加害者たる漢人への怒り、そのようなものが叙事詩のように描かれている。
日本語を巧みに使う著者であるが、根底にモンゴル人の尚武の精神があり、随所に顔を出す。だからこそ滅び行く内蒙古のモンゴル人である彼の言説への微かな「違和感」が、自分が戦後生まれであることを強く感じさせる。
全編に渡って漢族への憤怒に貫かれている。そして狂言回しとして、戦前の日本軍・日本人が割と好意的に描かれている。五族協和もその文脈では是、である。しかし根底には漢族同様、モンゴル人(あるいは満洲人)を利用し、大陸の一角に橋頭堡を作った日本が総体として功利的であることは随所に顔を出していて、恥ずかしい。近年にも似たような構図があるのだけど。
日中戦争・太平洋戦争による地殻変動は未だ完全には収まっていないのだけど、その余震としての内蒙古のモンゴル人の悲劇への鎮魂の書として、受け止めた。