K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

中原中也をめぐる本:長谷川泰子「ゆきてかへらぬ」,永井叔「大空詩人」


永井叔 青空は限りなく(1972)    大空詩人(1970)  長谷川泰子 ゆきてかへらぬ(1974)
永井叔の若い時分の写真は男前なのだが,長い漂泊生活が作り出した面白い人物の様子が表紙からも伝わる.本の内容もとてもヘンな感じなのである.比べると長谷川泰子は普通の奔放な女性,印象がかすむ.
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[2016-06-29 追記]

 もう全ての記憶が夏草のなかに埋もれていくのだろう。永井叔は1977年、長谷川泰子は1993年にこの世を去っている。 

 先日、久々に永井叔の名前を見かけた。彼が生前、放浪していた姿を見たことがある人も減っているのでないか。もう、埋もれ、消える寸前だろう。

 このリンク先には、大空詩人こと永井叔(ながい よし)の姿が写っている。

 横井弘三とオモチャン会

そのあと、泉井小太郎さんが、長谷川泰子の映画「眠れ蜜」を見たとのことで、羨ましく思ったりした。ボクが長谷川泰子という名前を知る3年前、1976年の上映である。

www.weblio.jp

 ちなみに監督の岩佐寿弥氏は3年前に亡くなっているそうだ。そうやって、大正から昭和初期がもの凄い速度で、一世紀の彼方へ消え去ろうとしていることに、悄然としている。 ボクの意識の中では、ついこの間まで、中也の知己は存命だったのである。小林秀雄河上徹太郎青山二郎大岡昇平...


[2010-04-12記事]
昨年の8月までは大船の郊外,湘南モノレール沿線の丘の上に住んでいた.北鎌倉との間はさらに幾重にも重なる丘があり,時間があれば(実際にたっぷりあったのだが),休みとなく平日となく,薄暗くなるころに散歩した.

梅雨の頃,夕暮れから急激に湿度があがったが,凝固し地に注ぐでもなく,深い霧となって歩く私をつつんでいた.一昔前に大船の川沿いに住んでいたとき,川沿いに湿気とともに潮の香もあがってきたものだが,この小高い丘まではあがってこないようだ.ただモノクロームの光景のなか. そんな霧の日が湘南にだってたまにはある.丘をおりて散歩をしているときに,本屋でみかけたのは長谷川泰子「ゆきてかへらぬ」の文庫本.中原中也の京都時代(立命中)に同棲した女性のモノローグで,30年くらい前に出版されている.今回,再刊されている.おどろいた.

大学に通う年頃,なぜか中原中也をずいぶん読んだ.その彼が大正末のころ,京都で長谷川泰子と同棲していたのが今出川河原町のあたり.学校の近所.見に行くと,彼らがスペイン窓と呼んでいた窓のある旧屋の外壁はトタンで改装され,何ともけったいな感じだった.長谷川泰子はその後,小林秀雄と同棲し別れるが,70を過ぎてからのお話は,地方の女学生が文人と交わるまでの遍歴で,辻潤のもとから出奔し大杉栄のもとに走った伊藤野枝辻まことの母親)や林芙美子の放浪記につながる時代意識が面白い.中原中也小林秀雄に女をとられた「口惜しい男」として生涯を鎌倉で終えている.

僕は京都にある学校に通っていた頃は「ゆきてかへらぬ」は知らず,3年ほど前に古本で入手した.そこで知ったのは,中原中也は奇人「大空詩人」こと永井叔から長谷川泰子を奪っていた.この永井叔の自伝(大空詩人,青空は限りなく)が面白い(本は面白くないが,永井がとても面白い).大正中頃,同志社卒業後,軍隊で上官を殴って懲罰の後,退役.托行と称しマンドリンを弾きながら放浪.その途中,広島で長谷川泰子と一緒になっている.そして京都に連れ出した.そこで中原にとられた.長谷川と永井叔の関係は不明だが,兄妹と書きながら自伝ではとても思わせぶりで可笑しい.

永井叔の姿は僅かであるがインターネットにアップされていて,

March 2006, Nikon Kenkyukai Tokyo, Meeting Report

でみることができる.望遠鏡と写っているのはマンドリンを持った永井叔と野尻抱影.永井の姿は懐かしい70年代ヒッピーのようだが,これはなんと戦時中の写真.永井の本は何か子供の書いたような変な本だったが,これも大正デモクラシーの残滓か.大杉栄の日陰茶屋事件なんかを想い出しながら読む本.

[2009.6.22に大船で書いた文章を改稿]