K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

楊海英: 日本陸軍とモンゴル (2016, 中公新書) 中国というシステムの外縁に生きる

 

 楊海英は内蒙古出身のモンゴル人。日本に帰化した文化人類学者。膨張する漢民族内蒙古のモンゴル人との間の出来事を記録している。前著では、中国共産党の指導部にありながら、文化大革命で粛正されたウランフを記録している:

 この本は清朝崩壊後の中国とモンゴル人の歴史、そして日本の存在についての記録である。

 この著者は中華人民共和国成立後の内蒙古での民族政策について、草の根の出来事から積み上げ、記録している。従い苛烈な政策の告発となる側面があり、いわゆる「反中本」のように見えなくもない。しかし、それが満洲帝国時代の内蒙古の日本の施策を全面肯定することを意味しない。やはり、事実の積み上げのなかから、日本が民族自決に対し前向きでなく(インドネシアビルマ、ヴェトナムと同じだ)、日本の国家利益に忠実であったという、当たり前の事実が示されている。その結果、ソ連参戦のなか、内蒙古の騎兵隊は日本の軍人を殺害し(徳王の保護厳命にも係わらず)、次のスキームへ向かっていく。過去、侮蔑的な態度を日本人から示されたことの蓄積、も無視できない。

 清朝崩壊から日本敗戦までの激動のなかで、内蒙古の指導者(徳王、ジョンジョールジャップなど)が民族自決を目指し軍を組織化し、結果的には満洲帝国軍に編入されていく様子が書かれている。そして民族覚醒の装置としての軍学校が部隊として描かれ、確かに戦前の川島浪速や玄洋社の面々が思い描いたような満蒙独立への支援という側面が無視し得ないものであることもわかる。事実は複合的であり単純でない。

 この本の続編的なものがある;

チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史

チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史

 

  日本軍により教育された騎兵隊は、その後、共産軍に編入された。そしてチベット動乱では、現地民の虐殺を手がけた、ということだ。夷を持もって夷を制する、政策。そして文化大革命の頃に、日本軍に由来を持つ多くの将校が粛正され、同時に内蒙古のモンゴル人の粛正が吹き荒れる。用が済んだ、といこと、中ソ対立の中で国境線に位置する内蒙古の軍団そのものが対日協力の前歴からしてリスクであった、といこと。同時にそれは中国共産党指導部での、ウランフの失脚を意味していた。感情によらない、中国指導部の冷徹なoperationを知る。モンゴル人将兵は嘆く、チベット人抑圧の天罰だと。悲痛な記録だ。中国というシステムの外縁に生きる辛さ、なのだ。

 これらの書を反中親日の文脈で捉えてはいけない。日本に見捨てられ、中国に併呑されていく少数民族の悲痛な叫び、として読まねばならないのだ。これらの書は、日本敗戦後20年も生き延びたモンゴル騎兵隊、そして内蒙古のモンゴル人への鎮魂の書なのだ。

 とかく国と国の関係を、親*反*嫌*(*に米中韓を入れる)のような感情的な区分で語る議論が(エセ)左右両翼にあるが、民族国家という暴力装置で甲殻を覆った現代に生きていく以上、その前提でのimmoralでない生き残り策(サバイバル)を冷徹に考えねばならない。そのなかで長期的な利益を最大化するようpracticalに国家間の政治や軍事が扱われるべきで、感情や狭隘な正義感で扱われるものではなかろう。それが戦前日本の蹉跌ではなかろうか。そして強い軍事力を持たない小民族が翻弄されたのである。