先の大地震後、自らの意見(あるいは思想)と合わない言説を持つ学者に対し、「御用学者」と攻撃する風潮に戦慄した。古くは、政府の日露講和に激高した民衆が起こした日比谷事件のなかで「御用新聞」として焼き討ちされた国民新聞社、あるいは政敵・知識階級に三角帽子を被せた「紅衛兵」が跋扈した文化大革命を想起させる「扇動された大衆行動」。言説の多様性や、それを前提とした議会制民主主義の劣化を誘導する思想的背景に恐怖を感じる。
ボクが小学生の頃に文化大革命は発動され、中学生の頃の四人組失脚でその幕は最終的に下りた。当時、朝日新聞を読んでいた訳だが、ソ連、文革や北朝鮮に先進的な社会の在り方を感じ、日本の後進性を感じていたのは、その潜在的なプロパガンダの賜だろう。教員の組合が議会制民主主義ではなく、民主集中性を指向していた時代なのだから。空気のようなものだ。しかし、その民主集中性で営まれていた「先進的」な「社会主義」が幸せであったのか、苛烈な統治が明らかになるにつれ、そのような言説は表だって消えていた訳であるが、「社会の混乱」に乗して未だに顔を出す。そのように感じてならない。
そのような新聞を通じて知った文革期の空気は、ただ権威を否定するradicalな指向にある種に憧憬を感じた人は多かったに違いない。所謂文化人も含め。そのような「文化人」のコアのひとつであった岩波書店から、本書が出版されるのは隔世の感がある。文革の理念は、毛沢東の奪権闘争の隠れ蓑に過ぎなかった訳だが、同時に心細くも維持されていた少数民族自治が破壊されていく過程であったことも描かれている(中ソ対立を背景とした極度の軍事化とも云える)。
ボクがそんな文革期の日本の空気を微かに覚えている訳だが、やはり�搶ャ平復活から周恩来逝去に伴う天安門事件での再失脚、そして毛沢東逝去から四人組逮捕に至る文革の終焉をより明瞭に記憶している。その頃、新聞の中国指導部のリストは失脚・復活の連続で、面白いから随分見たものだ。そのとき奇妙なことに気がついた。(多分)復活した指導者の名前が漢人ではないのだ。ウランフ、という名前。調べてみるとモンゴル人。多民族国家だからそうなんだろうな、と思った記憶がある。
モンゴルは清朝の傘下にあった訳だけど、辛亥革命のどさくさで人口が希薄な外蒙古が「モンゴル国」として独立し、ソ連の衛星国となっている。多くのモンゴル人が住む内蒙古が、漢人の国に取り残された。戦前期において,日本の大陸における膨張策で、満洲国の次のターゲットは華北とともに内蒙古であり、日本に支援された徳王(成吉思汗の末裔)による自治政府の取り組みは知られるが、いわいる共産党による「解放後」の状況は良く知られていないように思う。
本書の著者は内蒙古出身のモンゴル人。日本に帰化している方。文革期のモンゴル人の大規模な虐殺についての著書がある。ウランフは「解放後」の内モンゴルに共産党の指導者として「突如」表れ、民族派の指導者を粛正しながら、内蒙古の自治区設立を行った指導者。記述をみる限り、「あの」金日成とよく似ている。戦時中のパルチザンの実績はあまりなく、モスクワ留学の経験があり、それ以外は謎。金日成は独裁者として民族国家の維持に成功したが、ウランフは漢人に裏切られ、多くのモンゴル人が土地を奪われる。著者の記述はウランフに同情的であり、「体制内民族主義者」の取り組みと挫折を愛惜をもって書いている。
ボクはこの本を済州島で読み終えた。元代において、この島は馬の放牧のため蒙古の直轄地であった。その後裔も居る、という。その蒙古の足跡が残る土地で、今の彼らを取り巻く状況を知った。戦前期の西川一三の魅力的な記述で戦前期の蒙古高原の遊牧民の闊達な世界が知られる。そのような世界が雲散霧消し、過酷な現実を直視せざるを得ない、ということを強く認識した。著者の狙いは、十分伝わった、ということだろう。