K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

小岸昭: 中国・開封のユダヤ人 (2007) 宋代に中国に移住したユダヤ人の遺民

近年、少数民族政策の不寛容さが目立つ中国であるが、それは中国共産党政権の特性なのか漢民族の特性なのか、どうだろうか。

筆者は勿論、香港政策を含めた近年の行き過ぎた統制を懸念するものである。一方で、社会の寛容さ、という観点ではどうだろうか。日本の、異質なものに対する不寛容さは酷いものだろう。満洲帝国が崩壊したあとの中国残留孤児の戦後などをみると、多くの中国人農夫が豊かでもないのに多くの日本人孤児を身をもって守った事実に、中国社会の寛容さを感じたりもするのだが。

それは宗教に対してもそうだろう。勿論、今の中国共産党や過去の王朝での宗教弾圧のようなものはあったのだろう。しかし、宋代の移民である本書のユダヤ人、 唐代のアラビア人(馬姓を名乗る回教徒、今の回族)、あるいは最近の記事で読んだ中国のマニ教徒(ゾロアスター教の流れを受け仏教・ユダヤ教などの影響を受けた宗教で、唐代に伝来)など、残存する宗教的な多様性をみると、ここにも中国社会の寛容さ、があるのではないか。

本書では宋代に移住し、開封にシナゴーグを構えるに至った中国のユダヤ人コミュニティが、明代にイエズス会宣教師(マテオ・リッチら)に「再発見」され、その後の鎖国で衰え、黄河の氾濫でシナゴーグを失い、コミュニティが消失する歴史が示されている。ユダヤの遺民は民族的には漢化しているのだけど、宗教は失わず、今でもそのようなアイデンティティを持つ中国人がイスラエルに移住した、という話は驚き。開封訪問の紀行文も交え、面白く仕上がった本。

日本人の場合、江戸時代所期の東南アジアの日本人村が、本国と切れたあとに消えていった事実と比べても、そのアイデンティティの違いはなんだろう。そんなことを読みながら考えてしまった。

 

開封のユダヤ人 - Wikipedia