K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

犀川河畔で夜明けを迎える冬


 外に出ると下弦の月が出ていた。とても細い。走り出して辻を曲がった。なにか気になって振り返ると、月齢が戻ったような気がした。少し膨らんだように見える。何故だろうか。そんなことを考えながら、真っ暗な河岸を走り続けた。

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 米国から帰ってきた。時差による打撃を今回ほど感じたことはない。体内のある種の化学物質が加齢によって減っていくと、横になったら寝てしまう、という子供のような資質を失ってしまうらしい。その物質がいよいよ枯渇してきたらしい。時差なんか経験してはいけない体になりつつあるのに、無防備に何でも引き受けてしまうから、こんなことになってしまう。金澤に戻って、夕刻からの眠気は激しく、本当に困ったことになっている。吞みたくても、呑めない日々。困った。

 とは云え、余録もあって朝早くに目覚めるようになった。夜明け前、随分と早い時間に目覚める。今週は珍しく天候は安定し、積雪もないから、久しぶりのランニング日和。2日も連続して走ることができた。

 夜明け前、齢がすすんだ下弦の月が空高く在る頃に走り出す。足元は見えない。辻を幾つも幾つも折れながら、長良坂をくだる。この坂にはお地蔵様がおわして、何時にもお香が漂う。帽子をはずして、軽く会釈をしながら駆け下る。河原に降り立つと、医王山の方向から少しづつ明るくなっている。

  夜明け前の河原には誰もいない。ただ瀬がごうごうと鳴っているのが聴こえるだけ。山のほうから吹く風は冷たい。暫し上流側まで走ってから、犀川雪見橋で折り返して下流へ向かう。だから夜明けの様子は見えない。だんだんとはっきりしてくる、長く伸びた影の様子から夜明けが近いことが知れる。

 金沢に住んでいて何よりも残念なことは、白山そのものは見えないこと。大豆田橋のあたりまで下ると、ぼんやりと白山が見えはじめる。若宮大橋では、大きく白山を望むことができる。古ぼけた家屋越しに白い峰々が見えるコントラストがとても好きで、夜明けにほんのり紅に染まる山が見える街って、本当にいいなあと思う。

 大豆田橋で再び折り返して上流に向かう帰途。地峡のように細くなり、そして深く抉られた犀川大橋を過ぎると、今度は犀奥の峰々が眼前に広がる。いよいよ空は明るく、散歩の人々も見えはじめる。来年は残雪期に犀奥の山に登りたいなあ、とふと思った。それに春先に咲き乱れる櫻と、その背景たる犀奥から医王山に至る峰々。それをいつまでも見たいが故に、金澤にやってきたことを改めて想い出した。

 そして櫻坂を登ってランニングはお仕舞い。今年、こんな冬の朝は何回あるのだろうか。