K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

音を聴く

 ボクは昔から新年であらたまって、ということに馴染めない。そこに時間の不連続や楔を感じ得ないためで、行く年も来る年もない。まあ社会生活を送る上で不都合がない程度に、新年を祝った(ふり)をしている訳である。ヘソが曲がっていて、「空気」への非同調意思が働くのだ。だからこそ、自分が持ち合わせていない社会性、得意でない社会生活のため、演者として社会生活を自覚的に行う意識があるので、案外うまくいっているのかもしれない。疲れるけど。ああ面倒くさい。

 でも他人様の年末の区切りは有難く、皆さん恒例のベスト盤が至るところでアップされ、嬉しい。ほとんで聴けていない。特に現代ジャズと呼ばれるようなアルバムの多くは、apple musicでアップされているので、それらをゆっくり聴こうと思う。その意味では、もう3号を数える柳樂氏のJazz The New Chapterのcoverageは広く、新しいアルバムのindexとして、とても有用だと思う。彼らの書くmovementsについてはピンとこないもの(ボクの感受性の問題だろうが)もあるのだけど、問題提起として、過去の"Stream史観"の呪縛を解体する力は強かったなあ、と思う。実は、今も過去も、様々な音楽と交歓しながら、常にre-constructionあるいはde-constructionし続ける音楽プラットフォーム、それがジャズだってこと。だから、その本義に迫るようなmovementは、中心でなく周縁に存在する訳で、Jazz The New Chapterの2号でECMを取り上げたこと、それはとても納得できるものであった。

 マイルスの死後、縮退していったジャズ・ジャーナリズム(SJ誌の消失、ジャズ批評のマンネリ)とともに、「聴くべき音楽」の喪失感が強かった。かろうじて、90年代末に村井氏らによる「200CD21世紀へのジャズ」でジャズへの関心を繋ぎ止めた、記憶がある。しかし、アメリカのジャズ・シーンの様子、のようなものがイメージできない状態だったのだけど、Jazz The New Chapterがその導きになったのは確か。なんかの本みたいに、やたら欧州の稀少盤を紹介されても、何だか違うしね。その意味では、ここ2年くらいで、すっきりしたように思う。

 結局のところ、stream的なシーンでなく、IT分野で云うcloud的な状況であり、周縁からの方がシーンをよく説明できる、ということに違和感と納得感が残った、という感じか。

 さて、これからもECMを聴き続け、菊地雅章を再認識し、現代音楽、南米音楽にはきっと関心が持続し、ジャズの新しい音にも関心が向くと思う。

 いい音も聴いてみたい。digital配信に力を入れているサイトもあり、High resolutionを感じてみたいなあ、と思う。そのなかで、欧州のIntaktレコードがとても気になっている。イレーネ・シュヴァイツェル(か)とハン・ベニンクのデュオの内容と録音の良さ、に痺れたのだけど、カタログをみるとチコ・フリーマンも。

 あと年末のベスト盤記事を追いかけていて知ったAUTレコード。試聴したAut to Lunchはよかったなあ。