K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

来年に向けての想い


 今年の一番の出会いは、11月に札幌ではじめて聴いた旧ソ連のメロディア盤。その音にすっかり魅了された。ヴェデルニコフをはじめとする好きなピアノ奏者のアルバムを入手し、とても満足している。スクリャービンショスタコーヴィッチ、プロコフィエフなどのロシアの作曲家の曲を楽しんでいる。CDでは暗く沈んだような音なのだけど、レコードで聴くとより自然で、光陰の彩りのようなものが浮かび上がる、ような気がする。

 と、同時に富樫雅彦のconcertoで聴いた菊地雅章に驚き、そして改めてしっかり聴くことにした。ここ数年、レコードで銀界、poesy、Eastward、Voicesなどピーコックとの共演を聴き、1970年頃から既に寡黙で深いピアノの音を聴き、惹かれていたのだけど、それがより強いものになった。

 ボクにとっての菊地雅章はSusto。リアルタイムでの経験。

  一生懸命にジャズを聴いていた1980年前後、彼は日本に居なくて、また寡作であったことから幻の奏者の趣だった。SJ誌では沈黙しているマイルスとのセッションを伝えていたが、不明。そんななかでのSustoの音は、マイルスのアルバム以上に前に出ているように思えた。米Columbia(Sonyによる買収前)からの輸入盤が並んだときの驚きは、今も覚えている。(実は渡辺貞夫、日野皓正のアルバムとともに発売された。日本の経済力の存在感とリンクしていたことが分かる、今は。)

 susutoで好きな日本のジャズが世界に突き抜けた、と感じた。管楽器も含めミニマル的なビートを繰り返すなかで、より高く静かな昂奮を起こさせる、そしてそれは身体的なファンクではなく、内省的なファンクという不思議な音楽だった。1981年の体験。当時、Jacoのword of mouthと並び、次の時代のジャズを予見させるものと感じた。ともにGil Evansとのつながり、を知ったのは随分と後だったが。

 次を熱望していた。ジャコはライヴ盤を出した後、失速。麻薬中毒、そして撲殺。菊地さんも視界から消えた。期待した、次の時代のジャズのようなstreamはなくて、まさにcloud的な分散化し、そして境界が融解したジャズが21世紀の音となっている。

 ボクの意識のなかから菊地さんが消えて長かったのだけど、Susto後の彼の軌跡を辿ってみたい、と思うようになった。そして、Susto前も丁寧に。

 ディスク・ユニオンのサイトでの菊地さんのページから、彼の複雑とも、真っ直ぐとも云える彼の心情が物事を難しくしていた様子が感じ取れる。鬼籍に入られた後では遅いのだけど、いや遅くても彼の足跡を追いかけよう、と思った。

 それが、来年に向けての想い。