御茶ノ水で何となく買ったアルバム。フリー系の奏者のアルバムなのだけど、静寂で美しい音。室内楽的な均衡がとれたアルバムで、即興なのか記譜されたものなのか、聴いただけでは分からない。作曲手段としての即興も、あるレベルを超えると、即興そのものであることの意味を喪失するのだろう、と思った。とても完成度は高いし、断続的な緊張感の発露、が音を聴く快感を誘発する。ただ、ジャズ性はとても薄いように感じた。
ネットなのでの販売元の惹句をみると、高いテクニック、高柳昌行を思い浮かべる、云々。
確かに、ボクも高柳昌行やデレク・ベイリーを思い浮かべた。だが全く逆の意味。このアルバムを聴きながら思ったことは、彼らとの違い。このアルバムは現代音楽的で、ジャズ的な心象が全く浮かんでこないのだ。ギターの音が孕む緊張感やキレのようなものが、韻律としてのジャズを抱え込んでいるのだ、高柳昌行やデレク・ベイリーは。だから伝統的なジャズからの遠心力を働かせる程、深く潜ったジャズ性のようなものが浮かび上がる逆説の中にあり、それが彼らの魅力である、と思っている。
このアルバムはそのような魅力的な呪縛のようなものからも、解き放たれている、という意味ではよりFreeなのかもしれない。と、同時に何かも失っている、のかも知れない。
このアルバムを聴いて高柳、ベイリーを想起したのは、このアルバムの特性ではなくて、ボクのなかで喚起された感覚。このアルバムは十分な緊張感と美しさを孕んだ、室内楽なのだけど、それを高柳につないでも変だなあ、と思った次第。
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近藤秀秋: Structures (2007, PSF)
1. Tacit Knowing -for solo guitar- Ostinto
2. Indwelling
3. Herdman's Pipe of Spain
4. The Secondary Object of Mode Crossing Lines
5. Improvisation:Ding an sich
6. The Secondary ObJect of Mode Quantification
近藤秀秋(10st. g, g), 狩俣道夫(fl), 河崎純(b), 野村おさむ(perc)