K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Valery Afanassiev: Homages & Ecstasies (1996) 音の隙間から匂ひを流すような

Valery Afanassiev: Homages & Ecstasies (1996, Denon)
   1. Homage To Glen Gould: Tombeau (Froberger)
   2. Homage To Glen Gould: Lohengrin: Elsas Traum (Wagner)
   3. Homage To Sergei Rachmaninov: Prld in G, Op.32, No.5 (Rachmaninov)
   4. Homage To Sergei Rachmaninov: Prld in g#, Op.32, No.12 (Rachmaninov)
   5. Homage To Vladimir Sofronitsky: Prld in a, Op.11, No.2 (Scriabin)
   6. Homage To Vladimir Sofronitsky: Prld in e, Op.11, No.4 (Scriabin)
   7. Homage To Vladimir Sofronitsky: Prld in c#, Op.11, No.10 (Scriabin)
   8. Homage To Vladimir Horowitz: Andantino Di Clara Wieck (Schumann)
   9. Homage To Emil Gilels: Lyric Piece, Op.43, No.1 'Butterfly'(Grieg)
  10. Homage To Emil Gilels: Lyric Piece, Op.43, No2 'Solitary Traveller'(Grieg)
  11. Homage To Arturo Benedetti Michelangeli: Mazurka in f (Chopin)
  12. Homage To Arturo Benedetti Michelangeli: Des Pas Sur La Neige  (Debussy)
  13. Homages: Consolation No.3 (Liszt)
  14. Homages: Consolation No.5 (Liszt)
  15. Homages: 'Seasons', Op.37: Barcarolle (Tchaikovsky)
  16. Homages: [Thema] in A flat, WWV93 (Wagner)

 最近は、随分とジャズの新譜も買うようになって、一時のクラシックにはまり込むような勢いは収まってきた。だけど最近のタイの洪水と一緒で、じわじわと水位が上がっていくような、緩やかなのだけどなかなか水が引かないような感じでクラシック、特にピアノに浸っている。長らく聴いているECMのNew Seriesが気になったり、Brad Meldauの新作でRaichの曲に痺れたり、ジャズとかクラシックを越えた、ある種のオトに焦点が合ってきているように思っている。移ろうオトのなかで暮らす日々....

 これは、なにかの記事、はてブログだったか本だったか、あるいはアマゾンのレビュー(これに随分引っかかってクリックしている)で気になって購入したアルバム。ヘンだとか、病的とか云われて、なおかつタイトルがEcstasiesときたら、自称快楽音楽愛好家は手を出さずにはいられない。顔写真だって、性犯罪者といっても通じるような病的な感じが良くでている(気に障った方がいたらゴメンなさい、コトバのアヤです)。小説家でも、詩人でもある亡命ロシア人だそうで、その背負っているコンテクストだけで、酔わせてくれる気がするじゃないか。

 聴いてみると、期待に違わず、良い感じの違和感にすっかり痺れてしまった。主に、超絶技巧の流麗なピアノを聴くことからはじめているのだけど、この方は違う。音の隙間から匂ひを流すような、不思議な味があるのだ。だからECMの音盤の惹句「沈黙の次に美しい」と近い世界観を感じてしまった。とくにRachmaninovとScriabinの曲は溜息が出るような美しさ。

 いろいろなピアニストに対するオマージュになっているのだけど、それはボクには何も分からない。いろいろな作曲家の曲が並んでいるのだけど、それが奏者が操る音の世界観で統一されている。ボクが好きな感じ。秋になって、再び徒歩通勤をしているのだけど、路地を曲がって古ぼけた家の崩れた納屋なんかをみながら、このアルバムを聴いていると、世界の果ての行き止まりに向かって歩いているような気持ちになって、そんな閉塞した心地で聴くことが相応しいように思えるのだ。