K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金澤・六斗の広見:時雨のなかでの交感

 昨夜は随分と呑んだ。この季節になると、殴られるような感じで寒さへのギアが下ろされていく。時雨て、そしてときどき雷鳴。この時候になると香箱蟹、卵巣を抱いた小さなメスの蟹、がこの地のご馳走で、解禁になると皆そわそわしはじめる。そんなものやら、この冬はじめての蕪寿司、これは鰤を蕪で挟んで麹に漬けた馴れ寿司、を頂いた。だから酩酊するまで呑んでしまった。

 片町に呑みに行く時には、鶴来街道を歩いて蛤坂を下り犀川大橋を渡るか、櫻木通りを歩いて櫻坂を下り櫻橋を渡るか、気分で選んでいる。昨夜は鶴来街道、古い町並みが綺麗な往還を歩いた。そのときのことを、酔い覚めに、ふっと思い出した。

 夕暮れの後、鶴来街道を独り歩いていた。時雨れていた。早い時間なのだけど、人通りは絶えていた。時折、黒く濡れた路面に映る灯はあるのだけど、漆黒のような夜。角にある新装した明るい床屋のウィンドウや、その対面にある幼稚園のミッキーマウスの偽物にほっこりしながら、いつものように六斗の広見に入った。

 大きな広場のような広見には誰もいなくて、大気の密度が変わったような感触。相変わらず時雨れていた。一段と闇が深くなったような気がした。そして風が吹いてきた。すると時折、ポンポンと硬いものが弾けるような音がした。不規則に繰り返す。ふっと映画ツゴイネルワイゼンのある場面を思い出した。誰もいない裏山から石つぶてが飛んできて、屋根を打つ。瓦が甲高くコン・コンと音を立てる。

 そんなことをつらつら思っていらた、足元につぶてが幾つも転がってきた。銀杏。広見の端に立つ大きな銀杏の木が揺れていて、幾つも幾つも銀杏が振り落とされ、国泰寺の瓦を打っていた。そして広見まで転がっていた。硬質の木琴のような音が、ポン・ポンと不規則に続き、真っ暗な広見にスカスカした感じで響いていた。銀杏の木のまわりは、雨上がりのブナの森のように賑々しい。賑わっている雰囲気を通り過ぎた感触が残った。乳臭い匂いが足元から辺り一面に広がっていた。

 角を再び曲って、妙立寺に抜ける往還に抜けると、少し明るくなったように思えるのは不思議なことだ。そして風は止み、大気は緩む。音はふっと聞こえなくなった。片町へ急いでいたので、振り返って戻ることはしなかった。なんだか少しだけ不思議な気持ちだけが残った。随分とはしゃいで呑んでいたので、そんなことは忘れていた。

 湘南のはずれ旧深沢村(現鎌倉市)から金澤に移り住んで2年が過ぎた。3回目の冬がやってくる。深沢から北鎌倉にかけての谷戸も不思議な場所で、日が暮れてから歩いていると、何やら見えないものと袖が触れるような感覚があった。見えないもの、この世での存在が淡いもの、地霊のようなものか。鎌倉で撮影された鈴木清順の映画ツィゴイネルワイゼンも、決してあの世のことを直接描いている訳ではないのだけど、仄かな「あの世」を古ぼけた幻燈で映し出すような趣があって好きだ。そして金澤の地は、ことに古い往還や坂道を歩いていると、そんな淡い見えないものとの交感があるからとても好きなのだ。

 

石つぶての音を聴く、場面はコレだったかな。