1981年の夏、大阪に住んでいたボクは欲しいLPレコードを買いに新宿、お茶の水へ出かけた。今と違い、新譜・旧譜の在庫が豊富なレコード屋に驚いたものだ。今もあまり変わらぬ気持ちで、東京までレコードを買いに行く自分に驚いてしまう。
その時、勿論、紀伊国屋書店裏にあったピット・インでライヴを聴き、その後、近くのジャズ・バーDIGだったかDUGだったか、で酒を呑んだ。この行動パターンも先日のマンハッタンと全く変わらない訳で、それに気がつき独り笑ってしまった。
当時は「まだ」スイング・ジャーナルを穴が空くほど読んでいたので、予定調和的なジャズ・フリークのモデル・コースを歩いた訳だ。
当時のスイング・ジャーナルで、白黒グラビアの目玉は中平穂積さんの写真。ジャズが孕む暗い熱気、のようなものをレコードで聴くだけでなく、彼の写真から感じ取っていたような気がする。そしてDIG/DUGは中平穂積さんの店でもあり、彼の写真が醸し出す空気、のようなものを感じたかったのに違いない。
今年に入ってからお茶の水のディスクユニオンに出かけると、中平穂積さんの写真を展示しており、さらにそれが上梓されていることを知った。大きな重厚な写真集。ずっしりと重い。かなり高価であったが、迷わず手にした。
つい先日、この世を去ったホレス・シルバー
ヴィレッジ・ヴァンガードの入り口。今はもっとこ綺麗だ
写真集をみていて気がついた。ボクがジャズを聴きはじめた1970年代末、モンクやエヴァンスがこの世を去った。新聞の死亡欄に小さく掲載されたのを覚えている。今は、掲載されている奏者の大半がこの世を去った。大好きなモダン・ジャズの墓碑銘、のような本なのだ。そしてボクは、その死んだ男達との交感を、ヴィニールに刻まれた微かな溝から漏れだす音を介して行っている訳だ。そして、いつとなくボクも消える。