K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Bangkok・Sukhumvitの光景:何時に来ても


 何時に来ても、来たのではなく、居たことがある、そんな既視感のなかにある。

 半世紀ほど前に、あたりまえのようにあった世界が、濃密に圧縮されて目の前に広がる。

 オート三輪が未舗装の泥道の隘路から飛び出し、道端に座る乞食、路肩に転がる犬猫の骸、川に流れる塵芥、怒号が飛び交う人だかり。薄汚いが、熱気に溢れた日常がそこにあった。

 美しい日本、は現時点の心象であり、過去を振り返る濾過装置に洗われた幻に過ぎない。ドナルド・キーンも、そんな猥雑な日本に住みながら、その先に微かに感じ取れる美しさを書き留めているが、それは奇跡的な記録、のように思える。子供から見える世界は、そんなものだった。が、その光景は失われてみると、過剰に清潔さを求める世界のダメさ加減が気になって仕方がない。だから、この国の脱力さ加減が丁度良い。

 日が沈んだ後にスクムヴィットに浮かび上がる光景は、まさにボクたちが失った世界で、唾棄すべきコンプライアンスなんか、これっぽっちもない世界のように見えてしまう。生レバーで死ぬ機会すら漂白した安全安心な世界から、やってきたからね。 

 それにしても不思議なのは、新幹線開業後の金沢駅くらいで人酔いするボクが、スクムヴィットであのイヤな感じがないのはなぜだろうか。分からない。