重層的な歴史、それも他国との関係を軸にした、が滞積したサイゴン。清朝、フランス、米国、そしてソヴィエト。その陰影のようなものが、街の光景のなかに記憶として投影されている。熱帯の大気は厳しいのだけど、どこか冷たさのあるような光景、そんなサイゴンを記憶にとどめておきたい、と思った。
佛教寺院。南ヴェトナム時代の大統領ゴ・ジェムがカソリック教徒で、佛教を抑圧していたのを思い出した。お坊さんの焼身自殺での抗議、はチベットだけでなく、サイゴンの地でもあった
ヴェトナムもつい150年ほど前までは漢字文化。彼らの名前も漢字(グエン:阮とか)。今でも、いくつかの漢字は教えるそうだ。
佛教寺院の天井からぶら下げられた線香
沸き上がる雲が熱帯を主張する。
強い熱帯の光は、強い翳りもつくる。
カソリック寺院。西洋支配のモニュメント。
お経、そのものが詠唱されるミサ
郵便局。やはり仏領印度支那時代のモニュメント。
植民地が持つ国際的な側面が美しく映える建物のなか、ホー・チ・ミンの画像が異様なコントラストをつくる。
かつてのレニングラードのようにホー・チ・ミンと改名されたサイゴン。土地の人と喋っていても、人名か地名か混乱することがあった。
ホー・チ・ミン嫌い、って日本語で云ったサイゴンの人の話は人名だってすぐわかったけど。
肥沃なメコンデルタを擁するコーチシナ(交趾支那)はフランス直轄地。サイゴンは中心都市。かつてはクメール人の地帯で、膨張する京族(越南人)が19世紀になって手にした地帯。それをフランスが奪った。
world clockが国際都市サイゴンを主張する。
米国の記憶。ボクにとって決して遠くでない苛烈なヴェトナム戦争。この国の過半の人達は戦後生まれ。戦時体験者は面構えがはっきり異なる。加齢のみではない。
不釣り合いなほど強い光の中で翻る赤い旗と星。20世紀のコミュニズムの記憶が、すっかり形骸化し21世紀に残存するのは北京だけではない。
ヴェトナムの意匠・印象そのもの
伝統的な行商姿の女性は2年前より減っていた。傘を被っていても、お洒落でカラフルなタイツ風パンツが目立った。
サイゴン河に出て夕暮れになった。
佛教寺院の天井からぶら下げられた線香