K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

口三方岳(1269.4m):6月の甘い大気の中,すっかり身体が覚醒してしまった


(山頂からみえる白山)

関西の自宅を離れ,20年ぶりに独り暮らしをはじめて丁度2年がたった.金沢に引越してきてからは10ヶ月め.なんとまあ目まぐるしく身の回りの全てが変わっていく.身体とココロの平衡感覚がトビかかって久しい.内面的には情緒不安定.子供のようで,みっともない.だから走ったり,山に登ったり,ちゃかちゃかと過ごしているのだ.

良いこともあって,はじめての土地で知己を得る僥倖に恵まれ,登山を再開した.生活の一部としての実感を感じながら山に登るのは実に13年振り.4月はじめの能登の宝達山(637m)5月はじめの白兀山(880m)と奥医王山(939m),そして昨日の口三方岳(1269.4m)と徐々に登山らしくもっていき,体を慣らしている.ボクが山登りやスキーが好きな理由は,基本的にとても個人的な営みだから.走りたければ走ればいいし,寝たければ寝ればいい.歩いているときは全ての思考のベクタが内向きとなり,漂うような感じがとても気持ち良い.身体とココロのrecursive algorithm にはいっていくのだ.平衡点まで辿り着くかな?

6月に入ってからの金沢は草花に強い香(あのニセアカシアの匂いも含め)漂うなか,甘い大気がゆっくりと流れる日々が続いている.夢をみているような朝,ゆっくりと暮れていく夕,ぬるい風が流れ続ける夜半,いつだって感じることができる.そんな気持ちで迎えた日曜の朝,南に向かった.だいたい,自宅から南に向かって山に登るなんて,はじめての経験で,とても愉快な気持ちになった.日本海側だからね.こんな気持ちは何年振りだろうか.Bill Evansのアルバムじゃないけど,最初から最後までConversation with myselfなのだ.

三方岳(1269.4m)は鶴来のすぐ南,セイモアスキー場の前から登る山で,標高の割には標高差900mくらいの登高が可能なので,足慣らしには丁度良い.丹沢で云えば大倉尾根のようなバカ尾根で,それなりの斜度で上がっていく.ざっと登り3時間の距離.いよいよ山登り本格再開に向けた足慣らしに丁度よい.

結論からいうと,この2年で体がすっかり軽くなっているので,後ろから持ち上げられて登るような感覚.とてもとても気持ちがよい.だから,気になっている他愛のないことを,こうでもない,ああでもない,と考える時間が楽しい山登りになった.バカ尾根の登り下りで迷いようがないしね.

頂上からは,白山から続く国境の稜線(大門や奈良岳にとても行きたいのだ)や犀奥(憧れているのである)の山々,北には医王山が見え,早く山岳同定がきちんとできればいいなあ,と溜息がでた.ついでに持参したHighland Park 25年で気持ちよくなった.登り下りの道中,天候は抜群ですっかり濃くなった木々のなかを歩くことが,「彼ら」のもつ本来的なチカラを頂戴することだと強く感じた.時間を経る程,体が覚醒していきチカラが溢れてくるのだ.嬉しくもあり,戸惑う感覚もあり,で下山した.石川県で登ったいずれの山も,針葉樹の植林はさほどなく,広葉樹の豊かなチカラが漲る森は素晴らしい.

さて帰宅後も覚醒状態解けず,かっかしながら寺町台地のうえの自宅から金沢駅フォーラスまで歩いてレイトショウの映画(オーケストラ)をみて,歩いて帰ってもまだまだ醒めない,不思議な一日を過ごした.おかげで,帰宅途中立ち寄ったBar quinasse(キナセ)で楽しい時間を過ごすことができたのが,余得.木名瀬さん,ありがとう.

そんな訳で,未だ覚醒止まずの時間を過ごしている.明日の朝,走ろうかなあ.



あとは適当に写真を貼っておきます.

青地に様々な緑が散りばめられる.影絵のように見える葉が楽しい光景だった.


この芽とは医王山でも「眼があった」のだ.芽線?が強い.



可憐という印象はなく,逞しい花だった


陳腐なんだけど緑のトンネルとはこのことか


最後の残雪


明るい森には,木々のチカラが漲っていた