K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Shura Cherkassky: Last of the Great Piano Romantics 1 奥村の「おてもやん」とは


Shura Cherkassky: Last of the Great Piano Romantics 1(Asv Living Era)
 1. J.Strauss: 'By the beautiful blue Danube' (arr.Schulz-Evler)
 2. J.Strauss: 'Wine, women and song' (arr. Godowsky)
 3. Mana-Zucca: Fugato Humoresque on the theme 'Dixie'
 4. Mana-Zucca: Zouaves Drill
 5. Debussy: Clair de Lune
 6. Schumann: Contrabandiste
 7. Daquin: Le Coucou
 8. Balakirev: Islamey - Oriental Fantasy
 9. Saint-Saens: (arr.Godowsky) The Swan
10. Rachmaninoff: Polka de W.R.
11. Falla: Ritual Fire Dance
12. Okumara: Ondo No Funa Uta
13. Okumara: Otemoyan
14. Ravel: Pavane pur une infante defunte
15. Gould: Boogie-woogie etude

音楽を聴いていて楽しいと思う時間、それが目的なのだけど、時として自分でも気がつかない感情の奥まで連れて行かれて、すっかり取り返しがつかないほど時間の感覚がおかしくなるときがある。その感情,というものが自分にとって何なのか分かる訳ではなくて、とてもコトバにできないような衝動が後から後から沸いてくる感じ。

そんな体験が時としてあるから、なんだかんだと云いながら新しい音、刺激?、を求めて彷徨っているような日々。微毒の麻薬を毎日煽っているようなもので、あまりココロの健康に宜しくない感覚もある。もっとも、音のない生活の毒は想像も及ばないけど。

そんなどうでもいいことを書いているのは、またもや音の気持ち良さ一杯のアルバムにあたってしまったから。最近,随分聴いているアルバム。チェルカスキー(1909-1995)はウクライナ出身のピアニスト。ホロヴィッツと似たようなロシア革命後の亡命ユダヤ人。

技巧的で艶のあるピアノの音で、流麗という言葉が似合う音の流れ。全てが超絶技巧なアプローチという訳でもなくて、ゆっくりとした演奏の音と音の間がとても美しい。アルバムのなかの曲もいい。ボクは20世紀より前の音はあまり聴かないのだけど、美しく青きドナウのきらびやかな音の流れ、大きな川面一杯に光が散乱しているような華麗な音には惹き込まれてしまった。Bolletの演奏とは味が違うけど。BalakirevのIslameyは、コーカサスや南ロシアのイスラム系民族のエキゾチックなイメージというより、ロシア自身が内包するタタールの血がきらっと光ったような淡いオリエンタリズム

そんななかで初めて聴いた曲が,12. Okumara: Ondo No Funa Uta,13. Okumara: Otemoyan。調べると奥村一(1925-1991)編曲の日本民謡「音戸の舟歌」「おてもやん」。それが驚くほどよかった。軽い打鍵から転がるように音が流れてくる。その軽ろみ、のような音から匂ふ仄かな日本の慕情。チェルカスキーをもっと聴きたい気持ちと同時に、この時代(戦中を挟んだ時期)の日本の作曲家たちの音を聴きたくなった。戦中期は精神的に退廃的な日本主義(盲目的、安易な時局便乗主義という意味で)が跋扈したと同時に、明治以来の日本と西洋の相克が沸点に達したという意味で、それをどのように受け止めるか、思索が深く為された時期ではないかと思うから。それが音にどのように反映されたのだろうか?

春間近な光景を窓から覗き見ながら考えて、やはり、少し時間の感覚をなくしている日曜日なのだ。

Islamey