ボクが金沢に越してきて、2年半が過ぎた。最初の1年の長さは特筆モノで、何だか数年の時間を過ごしたような感覚。慣れてしまえば、もとのスピードに戻っているのでなあんだ、という感じ。タイに出かけると、木陰で呆けているヒトを見て、すごく長い時間を生きているのだろうな、って思っていたが、多分、ヒトが感じる時間の長さは、そんなに変わらないような気がしてきた。
それはさておき、金沢という土地は多少は知っていると思っていたが、いざ住んでみると知らなかった、に等しいことがわかった。幾つか金沢の本を買ったのだけど、一番手にしたのが亡き国本昭二が書かれた「サカロジー:金沢の坂」。国本さんは旧制金沢高専(今の金大工学部)を出られて、数学の先生をやってられた方。没後、軽妙なエセーをまとめたものが本書。タイトルの通り、金沢の坂について纏められた一冊。
金沢の東側は二つの川、浅野川と犀川、に刻まれた河岸段丘が主たる構成要素。浅野川より北側は卯辰山にせりあがり、犀川より南側は寺町台地そして野田山に持ち上がる。犀川の北は二段の段丘で、上が小立野、下が笠舞。小立野から浅野川へは切れ立った崖になっている。丘から丘、川から丘が坂で繋がっている。
坂というのは、集落から集落への繋ぎ目、地蔵尊や道祖神が置かれるような曖昧な場所で、常にアジール的な怪しさを纏っている。異人は川沿いから坂を登って現れるのだ。そのような始原的な記憶が極く素朴に反映されたような、それでいて怪しさや危うさを十分楽しむような、とても洒脱な文章が面白い。また学校の先生だから、生硬な記述かというとまったく違う。学生の頃、色街に住んだ経験からかとても艶っぽい匂いが漂う文章が楽しめる。可笑しい。
金沢を知るということは、坂を知ることではなかろうか。そんな気がして、引っ越してから1年は多くの坂を訪れた。そして不思議な体験、アジールならでは、もあった。そんな愉しい金沢探訪の小粋なガイドブックのように思える。知ったときには、もう故人となられていたことが残念でならない。
さて、ボクが引っ越した犀川北岸の丘のうえから降りる坂があるのだけど、残念ながらこの本には出ていなかった。未だに名前が分からない。
金沢を知る本、の質問があったので、ボクなりの一冊を。