K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

水無月から文月に

 6月の金澤は半分くらいしか居なかった。その半分の日々も概して良い天気。梅雨前線から離れている地の利、を楽しんでいる。もっとも無理な生活が体の不調を引き込んでしまった感があり、最後の1週間は喉を痛めて咳き込んでいた。だから走ることもできず、体の中や気持ちの中に澱のようなものが沈んでいた。良く眠ることもできない日々。鬱屈に近いような闇が顔を覗かす。

 6月がお仕舞いとなる昨日、経緯があって知人が集まって昼過ぎから呑んでいた。それはそれで楽しいのだけど、澱の底に偏屈の虫を抱えながら、なんとも微妙な気分ではあったのだけど。

 6月すなわち水無月の最後の日に、京都では水無月という菓子を頂くそうだ。三角に切られた外郎(ういろう)の下地に小豆を載せたもの。この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」でのお菓子とか。暑気払いなのだろう。素朴な味わいが美味しい京都の外郎はボクの好み。その水無月を知人の一人から頂き、楽しむことができた。でも邪気を祓うことは出来るのだろうか、と思った。

 その晩遅く、月も見えない蒸せるなかを随分と歩いて帰った。夜半が過ぎて、知らぬ間に日付が変わった。7月すなわち文月に。深酔しながらも、やはり別の知人に頂いた氷室饅頭を頂いた。これは京都の水無月と同じ、金澤での暑気払いのお菓子。餡がはいった丸い酒饅頭。

 水無月で6月を終え、氷室饅頭で7月をはじめた。

 今朝は酒も残らず、夜明け頃に開け放った窓からは冷たい風が吹き込む。小雨が交じるがとても気持ち良い。遠くに白山が見えている。大きく息を呑み込むと、確かに沈殿していた澱のようなものがすっと消えるような感覚があった。体調が戻っていないので、ゆっくりと走っていると、まだ街の中や犀川沿いには紫陽花が咲いていた。少し色褪せたような気はするのだけど、爽やかな色彩が気分のなかにはいった。そして川沿いの暑気のなかを走り続けた。いつだったか、こんなときに走ったことを思い出した。

 蒸せる中、湿気の凝固点まで達し、再び雨が降り出した。雲がおり、山はみえなくなった。だけど、邪気がすっと消えたような感触が心地良くて、窓を開け、いつまでも降り続く雨をみていたいような気分になった。縁起物を頂くのは、いいものだな、と思った。季節の移ろいのなかでの心遣いがとても嬉しい。ありがとうございました.

追記:縁起物は素人スキーのストックのようなものだと思った。無くても滑ることはできるのだけど、方向や勢いを変えるきっかけを与えるものだから。蛇足ですが。