K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

朝日のなかに浮かび上がる白き山を見つめる日々


 昨年3月に犀川南の寺町台地から、犀川北岸の河岸段丘、二段ある段丘の一段めに引っ越した。随分長い間、市街地近くで白山が見える場所を探したような気がする。結局、中心地から犀川沿いに競り上がる河岸段丘の崖に立つ集合住宅に移った。

 この地から見る白山は、大聖寺から小松あたりから見える周囲の山を睥睨するような偉容ではない。前衛の山に阻まれ、その奥に頂上付近が顔を覗かすような感じ。だから夏から秋にかけては、僅かな標高の差を見積もり、あそこが白山と同定するような見え方である。

 幼い頃、福井市内に住んでいた期間が僅かながらある。その頃の記憶で鮮烈なのは初冬の白山。ある晴れた朝、連なる嶺の奥に突然と白いものが顔を出す。九頭龍を辿りその谷の奥には人を寄せ付けないような白い嶺がある。その嶺が白山であろう、とはっきりと認知した。その頃から、雪の候にそんな山並を見ていたい、そんな気持ちが深く沈殿していた。

 だから崖の上の部屋に住んで、秋が深まるにつれて、40年以上昔の記憶が沸き上がることに驚いてしまった。11月も中旬を過ぎると、冠雪した嶺を眺めて過ごす時間が随分長かったような気がする。

 ある朝、南に向いた寝間が真っ赤に染まっていることに気がついた。医王山の南の鞍部からはまだ陽は昇っていない。低い角度から射し込み、この上空で散乱した光のスペクトラムがそちこちを照らしていた。気になって遠くを眺めたら、はっきりと、あの白い山の頂のうえを光が照らしていることが分かった。加賀の南の果てから徐々に高度を下げていく山嶺にあかりが広がっていく。犀川沿いの街並みが勢いよく明るくなっていく....

 そして今は雪明かりで明るい夜や、湿潤な大気を運んでくる雲や、雲の切れ間から僅かに覗く空や、そんなものを眺めながらぼんやりしていることが多い。

 そんな何でもなく、だけど代え難い時間を何回も何回も過ごしながら、知らぬうちに果てていきたいと思うこの頃なのだ。