頑強に計画された音楽だ。その強度は音のrecursive algorithmへの偏執的な拘りからやってくる。何ら情緒的な訴求を伴わない波動の循環は結局のところ、極く低音の揺らぎの心地よさだけを残していく。
どんな精密な電子機器であっても、その励振周期が微妙に揺らいでいることは、工学関係者には良く知られている。果たしてこのNik Bartsch's Roninの演奏の僅かな揺らぎが、そのような自然科学的な揺らぎに由来するものなのか、奏者の情緒に起因するものなのかボクには分からない。ただ、認知できるギリギリの揺らぎが、揺らぐために仕組まれたオトよりも更に身体的な快楽を秘めるものとは知らなかった。
それにしても冷たい。とても冷たいオトの連鎖。冷え切った熱狂のような渦のなかで、ただ時間を垂れ流していく、愉しい無為の時間を過ごす。
果たして彼らのオトをライヴで聴く意味があるのかボクには分からない。ただ、ある時間、ある場所の空間を満たす音場を切り取って、50%の切り捨てと、50%の潤色を伴って届けられた音源。ただ、それに感謝するのみだ。無感覚のgroove感。
古の祭祀のように、意味もなく繰り返される音のrecursive algorithmの罠にかかる時間の甘さって、音楽を聴く愉悦の根っこじゃないかな、って聴く度に思う。
追記:
この2ヶ月あまり、1970年代のLPレコード主体に音を聴いているのだけど、そのアプローチが破滅的に無作為抽出的な側面があるため、その聴き出した何かをボクのなかにあまり取り込めていない。そんな訳で、少々、音楽についてのコトバを失っているこの頃。
Nik Bartsch's Ronin Live (2011-2011,ECM)
1. Modul 41_17
2. Modul 35
3. Modul 42
4. Modul 17
5. Modul 22
6. Modul 45
7. Modul 48
8. Modul 47
9. Modul 55
Nik Bartsch(p), Sha(b-cl, as), Bjorn Meyer(b), Thomy Jordi(b), Kasper Rast(ds), Andi Pupato(perc)
同時期の音源