K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

渋谷毅:Cook note(1977) なぜ日本のジャズなのか、なぜLPレコードなのか

 金曜日にお茶の水で買ったLPレコード。持って帰ってから何度もターン・テーブルに登板。MMで聴いたり、MCで聴いたり、山水で聴いたり、マッキントッシュで聴いたり。

 なぜ日本のジャズなのか、なぜLPレコードなのか、そんなことを考えていた。

 学生の頃から日本のジャズは好きで、良く買っていた。その頃、父は良さが分からん、と呟いていた。ニセモノのような感じが離れない、と。だから遺品を整理しても、日本のジャズは殆ど出てこなかった。

 ジャズを聴くという行為の音と自分の距離感か。昭和一桁世代(死語になったね)にとって、戦後すぐに迎えたジャズは遙かな距離を渡ってやってきた彼方の音楽で、その距離感故に聴くことに悦びがあったに違いない。ボクたちの世代(もう少し上、baby boomerから)は、ボク達自身がそんな音のなかで育っていたから、彼らが持っていたような距離感はなくなっているように思う。だからジャズにしても距離感で聴くような感覚はない。父が感じたニセモノのような感じ、って日本のジャズが持っている匂いが、距離感のない身近な、醤油のような匂いであることを敏感に感じたからじゃないかな。洋モノなのに何で醤油の匂いなんだ、って。ボクの鼻には、どっちも似たような匂いしかしないのだけど。

 渋谷毅のオトを聴いていて、得体の知れないノスタルジーのようなものを感じた。その感じが、日本のジャズだから感じるモノであることは間違いない。ボクはこの匂いが好きなんだ、と思った。別に和風を主張している訳ではないのだけど、和風としか云いようのない味わいの音。それが、モンクやエリントンへの憧憬が素直に伝わるオトの隠し味になっている。父にはニセモノと感じる、近しい匂い。それにピアノを美しく鳴らしている。それもいい。山本剛、菅野邦彦、渋谷毅、彼らに共通する音の心象なんだろうな。

 今になってLPレコードに惹かれるのも、味や匂いの問題だと思う。いろいろ聴いていて、LPレコードが媒体としての音の良さを持っている、との説は信じていない。ただ、LPレコードが作られた時代の作り手の感性がイコライザに込められている、からだと思う。その音の味わいのなかで育っているので、それが美味しい。CDという媒体への載せ替えが進んでいるのだけど、イコライザを合わせなおす必要があるのだけど、その過程で作り手と異なる感性(多くは事務的・技術的なものじゃなかろうか)が入り、少しばかり匂いや感性が失われる、のではないか。同じLPでもオリジナル盤の価値もその類じゃないかな。だから、ボクのジャズ耳は日本のレコード会社、70年代から80年代の制作者の匂い(たとえBlue noteやRiversideであっても)に染まっているのだろうね。

 何回か目、表裏ひっくり返して、今朝も聴いたら良かった。買ってよかった渋谷毅のアルバムを、LPレコードで。

 

ちょっと凝ったyoutubeの投稿(最初の音は画像の音)。らしい感じの動画。

 

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渋谷毅:Cook note(1977,Trio)
   A1. My Old Dream
   A2. Didn't know About You
   A3. Ode To Potato Plant
   B1. Cook-out
   B2. Shadow & Shade
   B3. I Love You
   B4. Soldier In The Rain
渋谷毅(p),川端民生(b),宮沢昭一(ds)