K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

村井 康司: JAZZ100の扉(2013、アルテス) オトを読む、そして同世代の感覚、同世代の嗜好


 今日、出張の途中で立ち寄ったディスク・ユニオンで手にした本。SNSwatchしているなかで、最近出版されたことを聞いて、気になっていた本。バンコクまでのフライトのなかで、読んでしまった。面白かったなあ。

 マイルスが死んだ後、仕事が多忙だった30代から40代の頃、音楽を聴くことに意識を集中できなくて、何となく、その頃のジャズに同時代感を共有できていない。それまで新しい盤を聴くことが楽しみで、自分のなかの時間の流れが、音とともに目盛りが刻まれていた。その目盛りが、ぼやけてしまったような気がしている。1990年代以降、音楽と時間の流れが全く無関係になってしまったように、思えてならない。

 この本の著者は、ボクより少しだけ年上。ジャズを聴き始めた時期は少しだけ早い。1970年代中盤。ボクは1970年代末だから、ほぼ連続的な時間のなかにある。ほぼ同じ音楽環境のなかで情報を得て、聴く。そんなヒトの本。

 驚いたことにアルバムの選盤やその意味付けにおいて、大いに意識が共有できている部分が多く、面白く読むことができた。オトが純粋にオトとして存在しているのでなくて、ベットリと裏側に様々なcontextを貼り付けていることを確認できた、という意味で。だから、この本は音楽について書いてあるようで、オトを読む、そして同世代の感覚、同世代の嗜好、を読むようなものだった。

 ビ・バップ期からの音盤100枚+200枚が取り上げられているのだけど、1970年代からジャズを聴き始めて2013年に至った人の感性なのだと思う。だから、ボクの気分の合うようなアルバムが集結しているのに違いがなくて、ボクにとっての「完璧なディスクガイド」に違いない。そして1990年代のジャズの不作感についても共有できていて、あの時期、何となくメルドーにもノレなかったし、ジョウシャにも期待外れだったような寂しさを再認識したような次第。

 だから、たとえ1950年代のアルバムであっても、1970年代に初めて聴いて21世紀に改めて聴き直したという著者のcontextがべったり貼り付いているから面白いのであって、その音楽の本質的な価値と必ずしも同一ではない。あくまで「流行り音楽」のノリで扱っている、のだと思うのだ。(肯定的な意味)

 さて、ボクと世代が違う人達にとって面白い本か? 上記の理由で全く不明だし、保証の限りではない。知りたいな。