K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

菊地雅章: End For The Beginning

菊地雅章: End For The Beginning(1973, Philips)
A1. 驟雨
A2. 銀界
B1. 賞賛と嫌悪(ミスターアウト)
B2. Bell
B3. Green Dance
峰厚介 (ss), 宮田英夫 (ts, fl), 菊地雅章 (p), 鈴木良雄 (b), 村上寛 (ds)

-------------------------------------------------------------------------

 今年になって、再び聴きはじめた彼のことについて書きたいと思っていたが、ずっと書きたいと思っていたが、上手くコトバにすることができなかった。契機は勿論、ECMから出たあのアルバムなのだけど、なんとなく空虚な感じがして、コトバにできなかった。嫌いなオトじゃなかったのだけど。 

 ボクが聴きはじめた1979年に彼は日本に居なかった。隠遁中のマイルスとのセッションなどが伝えられたり、ギル・エヴァンスとの共演盤が出たり、そんな風の便りしかなかった。巷のレコード屋でも殆どのレコードが既に廃盤。だからボクのなかで菊地雅章は幻にも近い存在で、随分と遠い存在だった。

 1980年代に入り、マイルスが復帰した頃、突然出版された「ススト」には驚いた。フュージョンのフォーマットは借りているが、万華鏡のように音が散りばめられた、フリージャズの変異のような低温のファンク。復帰したマイルスの音楽の裏音源のような面白みがあって、とても好きだった。同時収録でもう1枚を出したあと、また視界から消えたような記憶がある。

 それから30年ほど経って、再び気になってきた。ゲイリー・ピーコックとの「Eastward」、更には山本邦山を加えた「銀界」、ギル・エヴァンスとの日本録音版、ダンシング・ミストを収録したライヴ盤などなど、随分とLPレコードを入手した。いずれも彼の音楽が素晴らしいものであり、今のECMの作風とおなじような空気感、多分にひんやりとした音場であることを確認した。1970年代前半でそのような世界観に達していた事実を、今になって知ったのは遅すぎるような気もするのだけど。

 昨日、レコード市で入手したのは End For The Beginning (1973)。二管をフロントとしたライヴ盤。富樫雅彦のSong for myselfのような世界観。日本のジャズとしか云い得ない音が、ポール・ブレイのような冷ややかな音色で綴られている。熱狂からは遠い、眼に見えない世界を見つめたような思索が続く。当時のECMのレコードだよって云っても、信じる人は多いだろうね。だからこそ、山下洋輔のような直球の音楽がフリー・ジャズのフォーマットを被っていてもウケがよくて、菊地雅章のような深い思索の結晶のような音楽が伝統的なジャズ(のような)フォーマットであっても、あの当時廃盤になっていたのかな、と考えながら、針が上がるまで聴き惚れていた。

 

エンド・フォー・ザ・ビギニング

エンド・フォー・ザ・ビギニング

  • アーティスト: 菊地雅章,峰厚介,宮田英夫,鈴木良雄,村上寛
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2009/05/27
  • メディア: CD
  • クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る