独りで過ごす長い時間のなかで、気がつくと呟いていることがある。周りを見回して、誰も居ないことを知ってほっとする。何を呟いたのか思い出せない。何か微妙に歪んだ空間のなかにいて、その微かな破断面を見つけて驚きとも、哀しみともつかない、感情のない、無機的な反応。ただ息をしていることと、同じように、物理的な音を漏らしているような。感情の基底に違和感を感じだすと、その僅かな何かに引っかかって仕方がない。
[1/24の夕刻]
そんな気分を振り払いたく、夕暮れに走りに出た。小立野からみる夕暮れの山嶺をみるのが好きだ。土清水から卯辰山の下へ。それから金沢城に廻る。夕暮れ時の古い町をゆっくり走っていると、今、という時間の前に累算されている時間の地層のなかを泳いでいるような錯覚を覚える。
[1/27の朝、日の出前]
眠れない夜を過ごした。久しぶりのことだ。ふっと夜半に、風が吹き抜けるような不安な気持ちがやってきた。それからは見えぬ針が刻む音を想起するような気分を何回も、いや無限に反芻するような円環のなかにいたようだ。幼いときに見た幻灯器の落とし絵のように、不連続な光の変化。鈍い光が部屋に漏れてきた。外を見ると全てが凍っていた。氷点下の朝。遠景まで凍ったような、a still lifeというコトバを思い出した。冷たい一幅の絵を眺めるような朝。全てが止まっていた。
[1/27の朝、日の出の頃]
日の出の頃に晴れ上がってきた。彩色された雲の陰翳が美しく、見惚れてしまう。金沢市内の自室からみると、冬の太陽は奥医王山の南から上がる。標高が7〜800mあたりからの日の出なので、相応の時間、山影のなかにボクたちはいる。この地は、雨が降ったり、晴れたり、とても忙しい天気。だから大気がとても清澄であり、上等なプリズムを覗くような愉しみがある。今朝、覗いていると、金沢で一番最初に日があたる場所をみつけた。山の上にある学舎がひかっていた。
[1/27の夕暮れ前]
土曜日からの仕事がようやく終わり、明るいうちに帰宅した。犀奥方向のカフェに行くことにしていて、そわそわしていたのだけど、素晴らしい夕暮れの予感に満ちた光景だった。白山の方角が茜色に染まりはじめていて、寺町台地が暗いシルエットになっていた。夕暮れ時は、山影のカフェにいたので様子は分からなかったのだけど。
[1/28の朝]
南のほうは雲が切れ、淡い光が山を包んでいた。これから晴れるという。そのように思って、少し軽い気持で1日を過ごしていたが、夕暮れ後には雨に降られ、傘を持たずに出かけた夕食で濡れ鼠になってしまった。暖かいから、よかったけどね。
[1/29の朝]
なんか今年の冬は別の世界に来たみたい。とても嬉しいのだけど。光が溢れる朝にすっかり驚いてしまった。
結氷寸前の細かな水蒸気が天空に舞い上がっているので、散乱光でなんとも輪郭がはっきりしない太陽があがってくる。