K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

印度支那・音がない景色:ハノイからバンコクへ


 ハロン湾からバスでハノイへ。僅か一泊の滞在だった。印度支那、フランスが名付けた古のコトバの甘さ、を感じ得る時間。

 旧い韓国製のバスの車窓に沢山のオートバイが流れていく。その喧噪のなかで過ごしているのだけど、記憶、のなかに広がる映像は無音で、無声映画をゆっくりと回したような、モノクロームの記憶。旧市街の路地裏に広がるのは、植民地であった仏領印度支那の記憶を匂わせた、それでいて確かにアジア、それも東アジアであると思わせる低い町並み。かつての北京の裏路地に似て、そして仏領の香辛料を効かせたような、香り。極東の島から来たボクが感じる筈のないノスタルジイ、あるいはエキゾティスムのようなものが刺激を受けている。

 乾期の筈なのだけど、暑気、湿気が凄まじい。流れる汗を拭いながら時間を過ごしていた。夜半過ぎ、コンコルド広場のような意匠の広場の先にあるカフェに入った。打ち水で路地は濡れていて、微かな路地風が流れていく。そんな瞬間を見つけ、ビールを呑みながら夜が更けていくのを過ごした。

 バンコクに飛んだ。いつものように、飛行機から降りると香草の匂いが漂う。そして、気持のどこかが静かに狂う。色彩感が緩やかに変わっていく。淡い、沈んだような色のなかにあった。やはり乾期というのに、雲が多く、暑気を感じる。鉄道の窓から、遠くの高層ビルが見え始めると、いつもバンコクに来たことを強く意識する。東南アジアの表層に脆く積み上がった光景。

 市内に入ると、終業の人混みのなかに紛れた。その瞬間の所在なさ、が好きで、何処にも居ない自分のようなものを、少し上から見下ろすような不思議な気分のなかにいる。

 ただボクは暗い駅舎に、流れに抗うように立ち、鉄路の向こうに広がった空間を、無意味に眺めてみたりした。

 で、ね、結局の所は酒精を求めて、生暖かい緩い空気のなかで、ぼんやりと覚醒していくような時間を過ごすのだ。

 そんな日々の記憶には音がなく、音がない景色、のなかにいる自分を冷たく眺めている。そこに昂奮はない。