K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

出先で手にした本(金沢・味の四季、神隠し、石川県の歴史散歩)

 どこか出かけたときに入るのは本屋、古書店レコード屋。これは何処に行っても変わらない。そこで時間を過ごす。そんなの、何処へ行ったって同じじゃないか、と思うかもしれないのだけど、微妙に店の匂い、それは物理的な匂いではなくて、周囲の環境や気候を含め、本やレコードを選ぶときに五感に働きかけるものが違う、ように思える。インターネットでの買い物の問題点は、五感のうちの二つ・三つしか働かないことで、レコードや本に纏わりつく「何か」が足りない。だから、モノと一緒に引き受けるcontextのようなものが決定的に不足するように思う。

 それはとこかく、今回、金沢を出て、鎌倉経由で仙台へ。その間に手にした本のことを。

 ひとつめは小松空港。地方で楽しいのは、その地方の出版物を手にすること、と教えてくれたのは高校の歴史の先生。確か満鉄関係の共産主義者じゃなかったか(違うかも)。それから遠くに行くと、そんな本を眺めて愉しんでいる。小松空港の小さな売店の片隅には地方出版の本が案外充実していて面白い。たまに手が出る。

 今回手が出たのは、「金沢 味の四季」(北國新聞社)。40年以上前に出版された本の新装版。NHK新日本紀行を放送していた頃であり、そのような記憶の中にしか残っていない時代を食材を通して追体験させてくれるような薫るような本。楽しい。頁をめくって出てきた最初の話は「ふきのとう」。早春の沢に入りヤマメを釣る。ヤマメの腹を割いてフキノトウを詰めて焚き火で焼く、と山男がつぶやく。あの早春の光景が広がる。少しだけ、香ばしく。そんな四季折々の昭和の光景がのびやかに広がる頁が続く。

 仙台では、片平の東北大前の通りに、何軒かの古書店がある。大学前特有の、少し威圧的なほどの専門書の取り揃え。本が多く、面白い。北大前のような、北海道の森林や民族誌的な本の豊富さ、はないのだけど。

 

 小松和彦神隠し」(弘文堂)、「石川県の歴史散歩」(山川出版社)を手に。

 神隠し、は「遠野物語」で意識したのだけど、思い起こすと、子供の頃の浮遊したような心理状況、さらに夕刻の不安な気持ち、そんなものが生み出すある種異常な雰囲気のなかで、親に何事かで怒られ、ふっと家に背を向けたことがある。そのまま歩いて行ったところで親に捕まったが、そのまま姿を消すと、神隠しだったのだろう。街道筋には乞食が居たし、橋の下にはよく分からない人達も居た、そんな時代だった。そんなアジールが消えてしまって、神隠し、もなくなったのではないか。そんな好奇心、を久方振りに思い出した。

 何も仙台で「石川県の歴史散歩」もなかろうかと思うが、読むと面白い。能登天領の起源や、周辺の村との軋轢、幕末の立ち回りの悪さ、そのような話が満載され、地上に残るモニュメントに語らせている。

 仙台から金沢までの鉄路、のなかで読もうと思う。