K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

浅川マキトリビュート・フィルム&トーク・ライブ@もっきりや

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最近、呆れるぐらい働いている。だから遊びの計画力0の日々。酒も全く呑んでいない。

だから先週のケイコ・リーもそうだけど、誘ってもらって出かける。今回はEちゃん企画でYちゃんも一緒。昔行っていたバーの知り合い。亡き店主が呼び屋で浅川マキを招聘したこともあり、よくバーで浅川マキを聴いていたのだ。

昨夜は浅川マキトリビュート・フィルム&トーク・ライブ(寺本幸司、山崎幹夫)。没後10年のいくつかのイベントの一つ。寺本幸司は映像の監督。寺本幸司は1968年新宿蠍座での実質的浅川マキ・デビューを寺山修司と共に成功させ、翌年シングル「夜が明けたら」、70年LP「浅川マキの世界」のプロデューサーとして7作目の「灯りともる頃」までの作品を手がけた方。

 20時から70分、1993年12月のライヴの上映。林栄一、渋谷毅、川端民生、セシル・モンロー。撮影の山崎さんによると、この年だけ林さん、その他の年は植松さん。確かに林さんの音があまりバンドに溶け込んでいない印象が強かった。いい悪いじゃなくて、指向の違いというか。同じフリーキーな近藤等則の音(1984年のライヴ)ではそう感じなかったので不思議なものだ。多分「演歌的なテイスト」の濃さの違い、かもしれない、と思った。

 映像が70分くらい、その後、ロンググッドバイの映像10分弱。その内容は「いわくつき」、らしいのだけど、音響が不鮮明で歌詞はわからなかった。以下のwebに記述がある:

浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」|TAP the DAY|TAP the POP

21時半くらいには、映像が終わり、そのあと寺本幸司さんのお話。もう80近い?はずだが、全くそう見えない(調べたら81歳!驚き)。若々しく、力強い話。

浅川マキ追悼本の大半がそうだけど、浅川マキを語るようで、自分の青春時代(全共闘のころ)を語るような、気持ち悪さがあるのだけど(阿部薫本もそう)、寺本さんの話は全くそうでなく、プロデューサーとしての話。歌手浅川マキにのみ関心があって、プライベートに興味がなかった、と。「歌手・浅川マキに関わったのであって、本名・森本悦子には関心がなかった」。

寺山修司との関係の中でのロンググッドバイのこと。蠍座でのデビュー講演のこと。夜が明けたら、が世の中に広がっていったこと、などなど。バリケードのなかから深夜ラジオにリクエストがあって、放送中4回も「夜が明けたら」がかかったこともあったらしい。

田舎から出てきた浅川マキ自身がジャズ喫茶などでジャズやブルースを覚え、それを自分の音楽として取り込み、さらにそれを支える演奏者を見つけてきたあたり、プロデューサーとして付き合った彼の生々しい話は魅力的であった。

亡くなる前年の年末、池袋の公演では渋谷さんのピアノとの絡みが不調だったこと。亡くなる前日の名古屋・ジャズインラブリーでは、ピンとした緊張感のなかで、渋谷さんとも最高の演奏だったこと。その翌日、東京で聞いた訃報。伝え聞く、マキさんが来ない当日のラブリーの様子。仕方がないので、渋谷さんトリオで数曲弾いたこと。客も急病では仕方がないと文句も云わず帰ったこと、などなど。

晩年まで東芝EMIが専属料を支払い、生活を支えていた話も。泣かせるね。

終わると22時半過ぎ。不思議な空気(ひんやりとした空気、熱い話)のなかで、過ごした不思議な時間であった。亡くなってちょうど10年めの夜。なんか親戚の面倒だったけど気になる存在だった叔母さんの法要に出席したような、そんな不思議な夜だった。

 終わった後は、3人で粉へ。週末なのに一発で店内へ。1月の運を使ったか? うまかった。

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