K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

つげ義春:初茸がり(1966,青林堂)6月のイメエジをもうひとつ

一昨日に続いて、昨日も小雨の中10km走った。大した雨じゃなかくて,気温も低かったので気持よく走れた。長良坂から下りて上流へ走ったとき,医王山から県境の山々は低い雲に覆われて見えなかった。雪見橋から折り返して、豆田の橋まで流れに沿って下って、再び上流に向かう。そのとき,雲が切れて白山がしっかり見えた。周囲の山々からは雪が消えていっているのだけど、まだ真っ白。神々しい。千々に千切れた雲の向こうに山並みがみえて嬉しかった。梅雨の時期には、その時にしかない愉しみもある。

そのとき思い出したのは,つげ義春「初茸がり」の一つの場面。祖父と初茸がりに行く前、遠くの山並みに見える驟雨を少年がみている。大きな時計がゆっくりと時を刻んでいる。ただそれだけの漫画なのだけど、6月のある光景を切り取って、淡い夢のなかに浸してあるような。体験もしていないのに強い既視感、ある種のノスタルジイが沸き上がるような平面的なイメエジの空間。こんな、どこかで時間を落としてきたような6月のはじまりが、雨の中で記憶に彩られていく。そんな感触が「あの」つげ義春の世界を喚起してしまったようだ。

ゆっくりと走っていると、つぎつぎに広がるモノクロームの記憶の奥底まで下りていく鍵を手にしているに違いない。走るようになってから、心身ともに強健になっていく感覚と、感受性が研ぎ澄まされていって、深い記憶やあらゆるモノが発する存在感の匂いを感じたりする危うい感覚とがせめぎ合っているような,不思議な日々。なんだろうな。