ヴラディーミル&ヴォフカ・アシュケナージ ピアノ・デュオ リサイタル
1-1 プーランク:2台のピアノのためのソナタ
1-2 ラフマニノフ:組曲第1番 「幻想的絵画」op. 5
2-1 ムソルグスキー(編曲:V.アシュケナージ):禿山の一夜
2-2 ラヴェル:マ・メール・ロワ/ラヴェル:ラ・ヴァルス
石川県立音楽堂、9月29日(写真は東京での公演)
ボクはあまりコンサートのことは書かない。特にクラシックの場合は。うまくコトバにできない。もっともCDやLPの話しも、音楽をコトバにしているのではなくて、音楽を通じて映し出されたボク自身の影を語っているようなモノだ。独り言、なのだけど。いいコンサートに行き当たると、聴いている間は、虚というか無というか、主体としての意識を失って身を任せているようなトコロがあって、うまく思い出せない。そんなこともあって、コンサートのことは書けないのだ。書かない、ではなくて。
といいつつも、先日聴いたアシュケナージ親子のピアノ・デュオは良かった。とても良かった。アシュケナージは普段聴かないけど、生で聴いてきた。普段聴かない、といのは嫌いということではなく。聴いても、どうも印象が薄いので意識から外れるような感じ。今日も聴いてみたが、良く云えば端正、悪く言えばノリがないような演奏で、すっと流れてしまう。まあアクの強い(個性の強い)演奏を好んで聴いているからなのだけど。改めて聴き直して、ピアノの音が綺麗なことに改めて気がついたのだが。
ジャズを聴いていて、ピアノはやはりリズム楽器であり、リズムそしてメロディのような聴き方。だからアシュケナージを聴いた頃、クラシックを聴いて間もない頃、どうも印象に残らなかった。今はピアノの鳴り方がすごく気になっている。まず最初にそれ。だから、そのあたりに気が付かなかったような気がする。
石川県立音楽堂で聴いたデュオでは、そのアシュケナージ親子のピアノの美音を心底楽しめた。 ラフマニノフの組曲第1番 「幻想的絵画」では、まさに甘い旋律を甘くみせ、目の前で二人の奏者が語り合うような光景がしっかりとイメージできた。ボクはラフマニノフの曲のアルバムは随分買ってみたけれど、甘みが強くて、今のところ好みには合わない。同じロシアでも、ショスタコーヴィッチやプロコフィエとは随分聴こえ方が違うから。だから、少し聴こえ方が変わるかなあ、と楽しみになった。また、ラヴェルのマ・メール・ロワでの美音に心を持って行かれるような感じ。はじけたり,溶けたりするような音が続く時間。この2曲で幸せな時間に浸ることができた。本当に美しい音の繰り返し。
さて他の曲だけど、楽しみにしていたプーランクの曲は、はじめて聴いた曲。かなり現代的な厳しい音でとても好みにあった。演奏は何となく音の厳しさとか、深みが感じられなくて、濁ったように聴こえる音もあって、何となくカオスの手前。かなりがっかりして聴いていた。だから、そのあとのラフマニノフの曲が良かったのだけど。ラヴェルのラ・ヴァルスも似たような印象。
禿山の一夜は曲自体があまり好みでなく、ピアノ版も何となく落ち着きのない感じで、好みではなかった。ただ夜明けの場面での伝わってきた安寧の感覚は良かったけど。
と書いていて気がついたのは、早い曲はあまりよくなかったように感じたこと。ゆっくりした曲で音の一つ一つが輝いていたように思えた。
そんな風に秋の夜長を過ごせる街に住んでいることは幸せだなあ、と改めて思った。