K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

櫻咲かぬ犀川河畔の酒宴、そして月をみる夜半過ぎ


 先日は犀川河畔で恒例の花見に出かけた。大勢のヒトのなかに交じるのは苦手なのだけど、まあ酒の力で自分のなかの違和感もそこそこ抑えられる感じ。それよりも増して、随分苦労して準備された設営に助けられ、屋外で呑む気持ち良さにはかなわない。準備の呑み屋のご主人には頭が下がる。

 そんな会場から見える犀奥の山々は白く輝き、毎年思い出すのだけど、1998年の今時分、14年前に仕事で金澤に来たこと。金曜日にしっかり呑んで、土曜の朝、犀川大橋からみた櫻とその奥に屏風のように連なる銀嶺。これには射貫かれてしまった。何回も書くのだけど、そのときから、いつかこの街でと思い、そして今ここに居る。

 残念ながら開花はまだで、少々寂しい花見とはなったが、親しい友人達と屋外で呑むのは愉しいことだった。

 ボクは昼酒は苦手で、際限なく呑むような気がする。今回も途中から記憶が怪しい。思いだしたのが1984年の春。夕暮れ前に鎌倉の扇ガ谷から源氏山に登って花見をした。信じられないことだけど、あまりヒトがいなくて楽しい酒宴。このときも記憶が怪しくて、酩酊しながら真っ暗な化粧坂を下った記憶が断片的。そのあと行った小町通りハズレの「キー・ウエスト」で潰れていたようだ。気がついたのは翌朝、自分のベッド。帰巣本能だけはある。

 今回は友人達と連れだって帰宅。楽しい酒宴の続きだったようだけど、あまり記憶がない。マメマメしくLPレコードを替えていたと聴いて仰天。驚いた。

 早々には宴はお仕舞いだったようで、寝てしまったようだ。移り住んだアパートでは、サン・ルームのような部屋で寝ている。酔いつぶれてカーテンを閉め忘れた。夢のなかのボクは記憶喪失。失っている記憶を一生懸命なぞって、自分を取り返している。もう社会生活は難しいだろうと頭を抱えていた。はっと、気がついた明るい。明け方だろうか。時計をみると、まだ夜半過ぎ。盛りを過ぎはじめた月が煌々と照らしていた。

 そのまま明るい部屋のなかで微睡んでいた。夢と現のあいだを周回するように遷移していた。昔の仕事を再びはじめることにしたが、誰も仕事場にはいなかった。誰かが云った、お前が皆を移したんじゃないか。胸を衝く寂寥感で再び眼が醒めた。月は未だ西の空にあったが、白々と夜が明けはじめていた。遠くの白き峰をみて、金澤に居ることを改めて思いだした。

追記:昨日、ボクのブログを読んでくださっているヒトが某バーに現れたと、Yちゃんから連絡があった。しかるに、とても酒場に行く元気がなかったのは、そんな理由なんです。記憶を無くした後は暫く打ちのめされています。