K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金澤・六斗の廣見:肌寒い日々なのだけど日溜まりに咲く櫻


ボクが好きな路の一つが鶴来街道。金澤・片町から犀川大橋を渡って,斜め左に寺町台地に駆け上がるような坂がある。それが蛤坂。そこからまっすぐ行くと、所謂忍者出たを通り過ぎ、六斗の廣見を挟んで鶴来街道となる。今は山側環状道路で寸断されて、途中の行程がよくわからなくなっているのだけれど、鶴来の白山さんの方へのお参りの往還なのだろう。六斗の廣見から先の暫くは、なんだか大戦前の古い時代の日本が動態保存されているような町並み。昔ながらのお酢の蔵元、建具屋、酒屋、米屋、魚屋なんかがあって、典型的な町屋が並んでいる。そのなかを歩くことがが楽しい。

特に夏の夕暮れ、薄暗い時間に下駄の音がカラン・コロン響くような光景が夢想されるような路。ボクのなかでは、京都・今出川通り界隈の室町通りや新町通りとか、木工職人のSクンが移住した小諸とか,ある種の夏の想い出とともに記憶にファイルされている。

ここ数日の関心事は櫻なのだけど、今年は寒かった昨年より,さらに遅れそうな気配。なかなか咲きそうにないような強情な固さ。知り合いから六斗の廣見にある玉泉寺で咲き始めた、という話しを聴いてから,ここ数日はランニングの最後に鶴来街道を通って帰るようにしている。今日見たら、随分咲き始めていた。

実はボクが書きたいのは櫻ではない。六斗の廣見のこと。昨日も蛤坂のほうから走ってきて、六斗の廣見に飛び込んだ。廣見というのは藩政期からある広場みたいなもの。飛び込んだ瞬間に時間が止まったような不思議な感覚。とてもてても明るく、それに実に暖かい。大気の流れ,のようなものも止まっていて、微動にもしていないように思える。金澤は雨が多いので大気が澄んでいる。だから光の多様なスペクトルが天から降り注いで、そちこちで乱反射しているような眩しさ。まあ要は別世界に飛び込んだような感じになった。気持ちがよい。だから櫻も早咲きなのかなあ。

そんな六斗の廣見の感触を楽しんでいたら、タクシーの運転手ものんびりと大きく紫煙をはき出していた。そんなときの時間や場所の共有感って面白いなあ。記憶に大きく残っているのだから。春の光景らしいからね。てってもステレオタイプなのだけど。