雪が積もった朝は、目覚めのときに鈍い光が飛び込んでくる。たくさん降り積もると、不思議な無音状態のなかにいる自分に気がつく。無饗室のなかの所在無い感覚に近い。ほんの少しの違いなのだけど、雪での散乱は光の硬度のようなものを和らげ、雪での吸音は無音の音、”しんしん”と形容されるよな、をつくりだす。
視覚や聴覚に作用するようなささやかな「何か」があるから、だからオトを聴くときの気分も急旋回するような感覚になる。そう、冷たい音が気分に合うような気がする。だから自然と、LPレコードであっても、CDであってもECMの出番が多くなってくる。
最近のレコード狂いのなかで、ECMも少しだけ集めている。ディジタル録音になる前のもの。やはり音がとても良い。もっとも、このヴィトウスのアルバムはCDなのだけど。
このアルバムを聴くと、改めてヴィトウスのアルコはいいなあ、と思う。弓をさっと引くだけで、彼にしか出せない「あの世界」が現出する。丁度、欧州とアメリカの間をすり抜けるような不思議なオト空間。ベースのリズムがジャズであろうとフュージョンであろうと、その瞬間を聴くために彼のアルバムを手にする。Weather reportの初期のアルバムが汎宇宙的と称されるのは、まさに、そのコトだと思っている。月並みだけど、欧・米を止揚(aufheben)した世界。甘めの、欧州欧州した情緒的な演奏より、ずっと惹かれるものがある。
どのアルバムを聴いて思うのは、サックス奏者と組んだアルバムは「Weather report」の発展形であり、その純度がとても高まっていることに魅了される。ここでは、カークランドのピアノが魅力的でザヴィヌルの身体的な音ではなく、よりヴィトウスの音世界に寄り添いながら、すばやいドライヴ感を高揚させる。ジャズという語法の緊張感を維持しながら、「彼ら:彼以外の旧大陸の白人」との会話を成り立たせている。
最近は1950-60年代のジャズを聴いている。その音のエネルギーにかなりイカれている。だけど、狂乱(と云っても良いと思う)の1970年代を閉めるにあたって登場したこのアルバムとか、菊地雅章のスストとか、ジャズやファンクの語法を使った異次元の音の魅力も大したものだと、いつも思う。だから、それから30年でその方向がどうなったか「感じたい」のだけど、ピンとこないのが残念だ、といつも思うのだ。誰か教えて欲しいな。
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Miroslav Vitous: First meeting(1980, ECM)
1. Silver Lake
2. Beautiful Place To
3. Trees
4. Recycle
5. First Meeting
6. Concerto In Three Parts
7. You Make Me So Happy
Miroslav Vitous(b),John Surman(ss,bs), Kenny Kirkland(p), Jon Christensen(ds)