オヨヨ書林せせらぎ通り店で入手した本
上田正昭:日本の原像、マンディアルグ:みだらな扉、澁澤龍彦:玩具草紙、滞欧日記、種村季弘:澁澤さん家で午後五時にお茶を、古書手帳
それと、隣でパンも
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久方ぶりに金沢で休日を過ごしている。降ったり止んだりの天候。高い灰色の雲や低い黒雲が流れていくのを眺めている。家に籠もっていると快適なので、いつも籠もり気味なのだけど、昼遅くに散歩に出かけた。久しぶりに古本を見たかったので。
本多町の迷宮のような小径を歩いていると、ときどき広見に出くわしたり、江戸期から区画整理が入っていないような街の楽しさを味わうことができる。雨が降ったり、陽が射したり。そんな気分で古本屋の古い家屋に入ると、時間の感覚が微妙にスリップしていて、何か不思議な味わいのあるときを過ごすことができる。やはりクルマやバスで出かけては、この気分は出ない。
いろいろ見たのだけど澁澤龍彦周辺の本を手にした。相変わらずなのだけど、集中力を上げずに楽しめる読書だから。人間の心性の奥底に降りていく手順(あるいはツール)としてのエロティシズムは興味深い。異境に感じるエキゾティズムが外向きのヴェクトルならば、心性に宿すエロティシズムは内向きのヴェクトル。ともに日常からの距離に比例し、さざ波のように気持を沸きたてるものがある。そんな僅かなヴェクトルの移動を愉しむような、感覚が得られたらいいな、って思う。
その手合いの本が固まっているあたりから抜き出し、持ち帰った。レコードと違って、慢性的だけど軽度の蒐書中毒なので、まだその感覚を味わうだけの余裕がある。澁澤龍子の本を読んで、想い出したように欲しくなった、ということ。
古書店を出ると、もう夕暮れが迫っている。鞍月用水沿いに歩いていると、暗い斜光のなかで路地が浮かび上がっている。路地の果てには、弱々しい蒼天に黒雲が墨のように流れていった。
柿木畠の教会まで歩くと、何故か急に空が広がる。だから少し好きな場所なのだけど、曖昧な青空が顔をみせたのも一瞬で、冷たい雨をかけられてしまった。そんなことが少し楽しかった。