K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

フライトの朝


 なぜだろうか。齢を重ねるほど、立ち止まって空をみていることが多い。

 いつ頃のことだろうか。戦時中の皇族の手記の引用を読んだ。厳しい戦局の中、船窓から空を見上げ、流れる雲をみる。大きな思考のなか、空を見ることで自らの存在を相対化し、隘路に入った思考を開放する、ような記述。そのような非線形な時間の在り方に、淡い驚きを感じた。夏のことだった。厳しい会議を終えて戸外に出たとき、ゆっくりと流れる雲があたりきのように眼にはいった。時間が急停止したような目眩を感じた。

 そんなことが先へ急ぐような日々から、(気分だけは)金沢に隠遁したような日々への変曲点になったような記憶がある。時間や空間が全く相対的なものであり、自座標の速のようなもので幾らでも在りようが変わる、という体感。スキーでストックを突くように、空を見上げている感覚がある。

 だから北陸にやってきて、冬の空、幾つも重なる灰色の雲は見飽きない。それだけで時間を過ごすことができる。不思議な場所に移り住んだものだと、つくづく思う。いったい重ねる齢を加速させているのか、減速させているのか。何処か不思議な時空の間隙に独り放り込まれた、ような感覚。

 昨日は夜明け前に空港に向かった。この数日の北陸は天気が良く、雲に映し出される光陰の色彩感は素晴らしい。夜明け過ぎに見上げた小松の空も、遠い東の空から投影される茜色が点在し、そのグラデーションがゆっくりと旋回する様を、寒さを忘れて見上げていた。

 金沢から南に向かうと、白山の前に連なる山並みが解けはじめる。手取川を渡るあたりで、縮退していた光景が一気に広がる。天蓋の高さが、見違えるように高くなる。この季節の僅かな晴れ間に見える山嶺は白く、僅かに浮かぶ樹木の黒々とした陰がささやかなアクセントになっている。だから空港からの景色もとても好ましいもので、いつまでも眺めていたいものだと、いつも思う。そして、ちっぽけな非日常を隅々まで楽しむ。


 羽田へ向かうフライトは南南東に向かった。厚い冬雲の上にでると、光はとても柔らかいものだった。霞の向こうに浮かぶ富士山を見たとき、新春という字面が謳う「はる」という語感をしっかりと感じることができた。1時間足らずの時間、時速数100kmのフライトで感じる時間は短いのだろうか、長いのだろうか。答えのない相対論を、意味も無くいつまでも考えていた。