渓流釣りをはじめた。ちっとも釣れないヘボだから、魅惑された、ということはない。いや、だからこそ、釣り上げるときの強い引きや、取り上げて鉤を外すときの高揚が、妄想に近いくらい取り付いて、ボクを沢に誘い込む訳だ。
教えてくれたK太氏や、彼の師匠のA氏と出かけた犀川の奥。それから何回か出掛けたが、ボクには釣れたことがない。確かに魚影が薄いこともあるが、やはりヘボだからだ。釣れなければ、余計に渓に誘い込まれる。
あれは6月の中頃か。乗用車で入ることができる一番奥から、犀川を溯行した。明るい、綺麗な渓相を楽しむが、やはりアタリすらない。諦めて帰ろうと思ったあたり、で溝のようになった水流に糸を垂らした。そこで驚くほど強い引き、があり、竿を上げると大きな魚体が見えた、瞬間、糸は切れ、急に竿が軽くなった。尺、は越えていたと思う。悔しい、というより唖然としてしまった。
糸が継ぎ目で切れていた。新しい仕掛けを取りだし、もう一度垂らしてみた。やはり強い引きがもう一度来た。しめしめ、と思って引き上げたが、同じ。再び渓に戻って行った。そんなことを、もう一度繰り返し、結局、その大きなイワナは眼前から消え、ボクの記憶の中へ悠々と泳いで行った。
その後、3回訪れたが、もう2度と出会っていない。記憶のなかから、出てきてくれないようだ。そんなことが、妄想を生み出す温床のように思えてならない。ボクの手から逃げただけでなく、記憶のなかに住み着いて、妄想に近い感情に苛まれている。
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書架を整理したら、いつ購入したか記憶のない本が出て来た。
山釣りの画文集。お茶の水の茗渓堂あたりで購入したのではないかと思う。辻まこと(狂死したアナキスト・辻潤と、震災時に憲兵に惨殺されたアナキスト・伊藤野枝の息子)で「山の画文集」の味わいを知り、集めていたから。なぜか、この本にも辻まことが出てきて、何とも面白い。上述のように、釣りのほうは上達がなく、釣果も寂しいものだけど、こんな本でも読んで、目の前から記憶のなかに逃げ込んだ大イワナとでも遊ぼうと思った。
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仕事も夏休みモードになって一息。執筆してした論文の再投稿も終え、気持が緩んできた。夏雲のもと、山とか沢にもっと行きたくなっている。何処へ行こうか?