昨夜遅くに帰宅したら、届いていたCD。注文したことも、すっかり忘れていた、けったいなジャケットのアルバム。CDとDVDの2枚入り。ただし、DVDがregion codeが違うのか、DVD再生機では見ることはできなかった。幸い、サーバーからのダウンロードも可能で、映像はそのようにして見ている。
衝撃というものを通りこして、しっかり掴まれてしまっている。今年聴いたなかで、一番、高く跳んでいるかもしれない。およそ、聴いたことがないし、映像は見たこともない。魅力的、というコトバが陳腐に感じる。凄い。また実に録音が悪いのだけど、そんなことは関係ない。
まず作られ方なのだけど、マルチニク(なのかな)での様々な光景(街、人、鳥、太陽、様々)と、そのときの音を収録。それらを再構成し、音楽をオーヴァーダブ。繰り返しのフレーズのときは、映像を繰り返したりしている。まあ、それだけのアルバムなのだけど、それが凄い。
人の話や、鳥の声にぴたりと音を重ねている。それが独特の和声を作っている。メシアンの鳥の歌を彷彿とさせるが、決して難解さを狙っていないので、独特の効果を出している。映像と合わせ、いや音楽化された映像が放つ強烈な魅力、完全に音がembeddedされた画像。
その音も、一筋縄でない。Chassolの故郷であるカリブの音が基底にあるのだろうが、ミニマルな(曲の中にライヒの名前も見える)曲の構造のうえに、猥雑なモノ・ヒトの音が組み込まれ、旋律とリズムが飛び散っていく。
ミニマルという楽理(なのかな?)のうえに、現地化された音が並べられ、再構築されている。まさにクレオール言語の生い立ち、のような音の生い立ち。西洋言語(クレオールの場合仏語、ピジンの場合英語)の単語を無造作に並べ、その関係性に現地の助詞をかませていくようなクレオール言語のように、タレンの音、ジャズ的な音をはじめ様々な音の要素をミニマルの語法でつなぎ合わされる。クレオールという媚薬、が十分効いた音なのだ。
そこでハタと考えた。ジャズの魅力も元来同じようなクレオール言語的なものじゃないか(間違いらしいが、仏領ルイジアナだったニューオリンズの名前が出るあたりがそうだよね)。西洋的な旋律や和声をアフリカ的なリズムでつなぎあわせた、荒っぽい音楽。クレオールという媚薬が効いた蠱惑の音楽。その行く末は洗練に次ぐ洗練により、始原的な生命力を失う。そして、ふたたび洗練された楽理を解体し、クレオール的な再構築を繰り返す。そんな洗練と解体、クレオール的な再構築が、ジャズそのものじゃないか、と思える。だから、フォークロアの要素がジャズに活力を与える場面が多いのは、そんな根源的な音楽の在り方と密接な関係にあるんだろうな。
ジャズとかそんな枠を超えたシャソールの音を聴きながら(見ながら)、音の始原に向かうような思念が出てきたのは、自分でもびっくりした。そんなものを引き出す、恐ろしく力の強い、しなやかでマッチョな音楽だと思う。パスコアールをはじめて聴いたときのカオス、それをさらに強めたような麻薬性、なのだ。(オソロシ)
ライヴはこうなるみたい。
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Chassol: Big sun (2015, Tricatel)
1. The Big Sun (introïde)
2. Birds part I
3. Birds part II
4. Pipornithology part I
5. Pipornithology part II
6. Mario part I
7. Mario Part II
8. Organe Phonatoire
9. Dominos part I
10. Dominos part II
11. Dominos part III
12. Madame Etienne Lise
13. Sissido
14. Samak
15. La Route de la Trace
16. Bwa Brilé (Alix & Lisa)
17. Les Masques (Joby)
18. Les Sonorités
19. Carnaval part I (people)
20. Carnaval part II (motor & vuvuzuela)
21. Carnaval part III (percussions harmoniques)
22. Carnaval part IV (keupons)
23. Est-ce ou songé (petit soleil)
24. The Big Sun (outroïde)
25. Apes Kidz
26. Reich & Darwin
27. Générique Big Sun