K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

両国門天ホール:「響きの今」ジョン・ラッセル、ストーレ・リアヴィーク・ソルヴェルク、ピーター・エヴァンス コンサート

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レコード屋からカフェ・インカスに無理矢理寄ったので、両国門天ホール(雑居ビルの一階に作られた壁面板張りの感じの良い空間、以前、今井和雄を聴いた場所と同じビル)にはギリギリの到着。満員だった。最後列に座る。予約しておいて良かった。
deadな音空間であったと思うが、個々の楽器の音を実に明瞭に聴くことができてよかった。PAを使っていなかったので、奏者の交感が席に伝わるような空間だった。
twitter等で拡散された情報で知ることができた。感謝する。

http://www.monten.jp/20180922


1.秋山徹次(g)ソロ
はじめて聴く奏者。静かにギターの弦を金属物(後ろから分からなかった)で弾く。その少し甲高い弓引きの音が幾つか折り重なって、静かに進行していく。ある音はゆっくりと鳴動を高めていき、ある音は消えていく。即興(多分)ではあるが、ミニマル的な構造となっていて、何回も繰り返される音塊の差分が輪郭のように音響を形造っている。弓?を弾く手の動きが音の形で積分されていくような、不思議で美しい、儚さを感じさせる演奏だった。エレクトロニクスの技巧を人がなぞっていくよう、そんな不思議な印象もあった。


2.ジョン・ラッセル(g)、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルク(ds)デュオ
二人ともはじめて聴く。二人とも、ある種の「律動」に乗った演奏で実に楽しい。その「律動」は、我々がジャズや祭りで聴くような「この世の律動」を空間3次元+時間を、何かの関数で空間変換して求めたような「違う世界の律動」のような不思議な感覚。ジョン・ラッセルの弾く姿は、何となくピート・コージーに似ていて可笑しかった。ギターそのものの音に強い鋭さを感じなかったが、転げるような打楽器の音との交感がスリリングで、そのスピード感を愉しんだ。


3.ピーター・エヴァンス(tp)ソロ
今回の目当て。やはり聴きたかった。仙川に行きたかったが、仕事の出張で難しかった。だから今回聴くことができて嬉しかった。生で聴く彼のトランペットは驚くほど柔らかい。そしてピックアップとか、マイクを使っていないので、時としてアルバムでは誇張されていた(のだろう)管の共鳴音のような微妙な音ではなく、ラッパの先から吹き出される、真っ直ぐな音を愉しむことができた。アルバムで聴くように、細かな繊細な音の震えを実に早く、連続して、空間へ縦横無尽に投げかけていく。ハイノートで誤魔化すような昂奮とは全く無縁だ。しかし素晴らしいのは、サックスで云うとエヴァン・パーカーのような技巧を凝らしていることではなく、全体を通し、ソロで聴く彼の音が、ジャズ以外の何者でもないと感じさせたこと。音の背後に隠れた律動がジャズに対するリスペクトを印象づけた。それが時間とともに強まっていった。とても正統的なジャズ・トランペッターなのだ。加えて、一切の電気手段を使わない演奏だったのだけど、彼のトランペットがエレクトロニクスをなぞるような、そんな印象を与えたことも面白かった。彼のグループでのエレクトロニクスは時空を歪ませるような効果があって面白いのだけど、それを逆にトランペットにフィードバックさせているような感じ。マーク・ジュリアナのドラムもそうなんだけど、エレクトロニクスから影響を受ける奏法、を目の当たりにした。そうやって、エレクトロニクスを相対化していくのだろう。だから彼やエヴァン・パーカー、イクエ・モリのエレクトロニクスに、ある種の身体性を感じるのだろう。


4.ジョン・ラッセル(g)、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルク(ds)、ピーター・エヴァンス(tp)
3人になっても、ラッセルとソルベルクのデュオと大きく印象は変わらなかった。基本的な音の構造は彼らが付くっているからだろう。欧州の伝統的なimprovised musicとして愉しんだ。面白かったのは、ピーター・エヴァンスの音があたかもソプラノ・サックスのような音色に聴こえたとき。そうエヴァン・パーカー的な音。面白かった。

演奏の合間に物販。ピーター・エアヴァンス夫人がCD、レコードを売っていた。で、レコードとCDを購入。後で夫がサインするわよ、ってニコ。演奏前だったので、遠くから来たので彼の演奏が楽しみでドキドキするよ、って云ったら、私もなのよ、と。良い理解者のようだった。

 

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