K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

海保嶺夫:エゾの歴史(1996)、瀬川拓郎:縄文の思想(2017) 境界の民のこと

日本人であること、の意味を多面的に知るためには、その境界的な領域を知ることは興味深い。文化的、歴史的、言語的、民俗的、政治・法制的にその意味を徹底的に相対化に知りたい、と思ったりしている。小熊本での「日本人」の境界じゃないが、その不確かさ、そのものが面白いのだ。アイヌをはじめとする北方や沖縄の話に興味を感じるのは、そんな視点。

もう40年くらい前だろうか。日本の祖語としての視点で、アイヌ語について言及した梅原猛の著作は衝撃だった。縄文人=アイヌ人という明治・大正期の学説が否定され、縄文人から弥生人、そして現代人に至る直線的な流れ、が教科書的な話だったから。日本の歴史は、朝廷あるいは幕府の勢力の境界で定義されていて、その外は触れられていなかったから。だから平安時代のある時期までは多賀城あたりまでが日本だった、ということになる。「日本」の領域が縄文時代の広がりから、領域が縮退する謎の扱いなのだ。エゾとアイヌの関係も謎であった。

海保嶺夫の著作では、そのようなエゾ・アイヌの「歴史」を和人側の資料を主軸に包括的に記述した本。アイヌ・エゾに関し正面から記述する試みであり、20年前に読んだときには、本当に驚いた。

鎌倉時代の諏訪大明神絵詞によると、エゾは渡島、日ノ本、唐子に分かれていたという。渡島は北海道南部で和人との交易圏の民。日ノ本、唐子は擦文文化の領域の民で言葉が違う。川を意味するナイ・ベツの分布がそれに対応する、という。これをはじめとして、史学からはじまる論述は面白い。 

縄文の思想 (講談社現代新書)

縄文の思想 (講談社現代新書)

  • 作者:瀬川拓郎
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: Kindle版
 

近年の瀬川拓郎の著作は考古学がベース。相補的な内容で併せて読むと本当に面白い。考古学からは、日ノ本、唐子は東北北部にまで移動していて、それが東北地方のナイ・ベツ地名に対応すること。その頃の東北での猪を使った祭りが、北海道にも移り、東北から北海道に猪が運ばれていたこと、その後、それが熊にとって代わられたこと、など。古代の民の躍動感に驚かされる。あわせて、考古学的には南方の民の移動、九州南部から奄美、沖縄まで、が述べられていて、沖縄語における日本祖語との関連性について明確な示唆を与えている。

これらの内容が、現代の日本へ政治的に刈り取られるようなものではないと思っているが、日本とは何か、という思惟に対し多元的であり豊穣な答えとなっていけば良いなあ、と思っている。どうも排他、峻別のコトバで汚されているように思えてならない昨今だから。