長い移動を伴う出張は辛い。が、本をじっくり読めるのが嬉しい。今回は福田和也の原敬伝なども持参したのだけど、結局、コレを読んだ。
日本の古代史というと、魏志倭人伝や記紀からの果てのない類推、戦前の皇国史観からの過剰な反発による「ものがたり」の否定、あるいは考古学遺物の無味乾燥な提示、のようなイメエジがあって、あまり面白いと思って読めたことはない。多分にボクの予断も多く、正しい状況認識ではないと思うのだけど。本が多い割に、解き明かされる史実の方向性が見えない、なんか百家争鳴で終わっているような印象(勝手な思い込みだけど)。
ちょっと前に、中国古代史の分野で司馬遷の史記の検証が進んでいることを知った。20世紀の初頭には周の後半、春秋期以降のみが史実とされた。その後の甲骨文字や殷墟の発見で商(殷)の存在は史実として確認された。そして、商の中期以前の無文字社会を溯行し、考古学的な発見、天文学的な検証など、彼の国の総力を挙げた研究で、かつては想像の産物とされた「夏」の実在が確信されるに至っている。国家としての存在の有無、の決め手は大規模な国家儀礼を行う建造物の存在であり、20世紀に崩壊した清に連なる「中国的な王権」の在り方が確認できた、という。そして、無文字期の編年が天文学あるいは放射性炭素年代測定のデータを参照し、行われていたことの驚き。
そのとき思ったことは、日本においてもそのような方法で、魏志倭人伝や記紀に記載された記事の編年が整理されないのだろうか、ということ。特に大型建造物の遺構から、「日本的な王権」の確立時期が明確にならないのだろうか、ということ。
この本を読んで、とても嬉しく、また面白く思ったのは、書誌の記載内容と考古学的遺物の変遷が分かりやすく整理されていること。ワカタケル大王(諡号:雄略天皇)の時代にはヤマト王権を象徴する古墳の形式が東北から九州まで分布していた、古墳期に大型の倉庫があり、徴税した作物を蓄えたと思われること。古墳期には初期の国家が存在していたとおぼしき論考が整理されている。
学問の方なので、断定的な記載は多い訳ではなく、その意味で読みにくいのだけど、後漢書東夷伝で記載された弥生期から記紀の時代に至る、日本の国家の成立の過程を、もう少し俯瞰的に整理した(あるいは演繹的に記載した)本を読みたいと思った。勿論、仮定や異論を明記したうえで。そこから透けてみえる古代の心性というものを、記紀や万葉集とあわせて、もっと知りたいと思う。