K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

ボクが夢想すること

決して政治的な主張でないのだけど、だんだんと非寛容な空気が満ちているような居心地の悪さを感じることが多い。だから、これからの世の中に夢想することがある。

1.
 多様性に対し寛容の国であって欲しいと思っている。いろいろな考え方、立場があり、それを尊重し、意思決定を議会制民主主義という仕組みを通じて行う、小学校のときに習った事柄なのだけど、齢を重ねてもそれ以上の解はないように思える。非効率なのだけど、仕方が無い。多様性への寛容を担保する手段だから。

 繰り返しになるが、多様性に対し寛容の国であり続けて欲しい思う。自分と異なる立場の人間を否定するような非寛容な空気に満ちてはいけない、と思う。かつてのコミュニズムの国々、ファシズムの国々のようになってはいけないと思う。
 
 現世には「絶対的な正義」などなく、常に「相対的な議論」しかない。「絶対的な正義」は、狭隘な異論の排撃、排除を伴う恐怖がある。ボクは後述のように「中庸な右」の積もりだけど、別に友人が過激な左であっても構わない。ボクの存在を否定しない限り。だから、最近の「自称右」の他民族排撃デモは、その不寛容さにおいて相容れない。一方、絶対善を主張するが如きの「ある種の市民運動」も居心地が悪い。主張の中身はともあれ、異論に対する狭隘さ、が気色悪い。いずれも不寛容さ、が気になるのだ。

2.
 かつて日本における右か左の識別子は天皇という存在であった。否定的か肯定的かという軸。かつて極右も極左も野放図であった資本主義の破壊を目的としている点では共通で、ただ到着地が天皇親政の神権政治コミュニズムかの違い。先の大戦でこのような構図は壊れたのだけど。(ちなみに)野放図な資本主義を壊し、国家社会主義的な官僚が作り上げた1940年体制国家総動員体制の仕組み)がその後半世紀ほど続いたのは野口悠紀夫氏の著作で知られる。
 
 その「かつての識別子」で云うと、ボクは中庸な右、だと思っている。日本の祭祀を司る天皇という存在は、世俗の諸事を映す鏡として必要だと思う。鏡は何も云わないし、指し示さない。ただ映すだけである。写った人間が改めて、その姿を自己点検すれば良い。戦後も続く上奏とは、そのようなものだと思う。世俗権力の最後の牽制機構であれば、と思う。絶対の正義、というものがない以上。
 
 だから戦後憲法の象徴という表現はボクにはしっくりくるように思える。帝国憲法での形式的な世俗権力との交差は、権力行使の責任所在を曖昧にし、悲惨なカタストロフィを招いた、そして皇室の存在基盤を危うくした。あくまで超世俗的な存在、いわば国家の鎮守の森のような、普段は見えないのだけど、そこに帰ると安心するような、存在であって欲しいと思う。3.11での皇室が果たした役割、祈り、はまさにそのように思う。だから元首、という世俗かつ現世的なコトバは似つかわしくない、と思うのだ。

3.
 明治維新後の廃仏毀釈純化させた神道は果たして伝統的なものだろうか。山や樹々、川や石、万物に霊性を認める素朴なアニミズムに対し、我々は論理を超えた共感を持っているように思う。神社で手を合わせるとき、そのような現世を超えた「なにか」に頭を垂れている。そして、その世界観は寛容なもので、印度からの渡来神達、道教の神々、天つ神、仏様、国つ神さらにはキリスト(クリスマスの光景)まで、一つの点景として、たおやかな世界の中で包含している。万物の霊性のひとつ・ひとつだから。そのような多様性を認める素地がここにあると思う。高山に登り、森を駆け抜けているとき、確かにそんな多様性の息吹き、を感じるのだ。
 
 縄文以来のひとびとに、二千数百年前から少なからぬ数の渡来民が重なり、多様な民族や言語がゆっくりと溶け込んでこの国はできている。太古のクレオールの民。漢字の読み方をとっても、漢、呉、唐と多様性を維持している事実はそれを物語る。そのような伝統の上に更に西洋科学を溶け込ませて今がある。渡来民を溶け込ませてできあがった我ら、だから再び、多様な日本人がいてもいいのではないか、と思う。
 
だから多様性への寛容を夢想する、この頃なのだ。