K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

沖至: One Year - Afternoon & Evening (1978) 40年前の記憶とともに

沖至: One Year - Afternoon & Evening (1978, FMP)
A1. Nasu No Hana(Michel Pilz) 7:08
A2. One Year (Afternoon)(Michel Pilz) 6:42
A3. Genji (沖至) 5:30
B1. Warten Auf ...(Ralf R. Hübner) 12:50
B2. One Year (Evening)(Michel Pilz) 6:45
沖至(tp, flh), Michel Pilz(b-cl), Ralf R. Hübner(ds)
Producer, Recorded by: Jost Gebers
Recorded in Berlin on October 13th, 1978

----------------------------------------------------

 沖至さんが亡くなった。昭和16年生まれだから、人によるが天命の域。ボクの親より、やや下の世代。しかし初めて知った1979年は30代後半、親よりはずっと若い印象だった。だから死の足音が、自分にも近付いている、そんな感覚になっている。

 1979年に聴いたのはNHK-FMのセッション79。この盤と同じミッシェル・ピルツとの双頭バンド。来日時のスタジオ。かなり内省的であり、また管の音の美しさ、が印象的だった。FMPというとimprovised musicの印象なのだけど、Free jazzというほど過激ではない。2管がゆっくりと空間を作っていくような、そんな音だった。

だから三条の十字屋の輸入盤コーナーで、この盤を見つけたときは嬉しかったな。そんなことをツラツラ思い出している。

 1981年、関西からレコードの買い出しで御茶ノ水DUに出かけた際、観光で鎌倉に行った。そのときに入った喫茶店で9月に沖至のソロの告知があって、すごく聴きたかった、そんなことも思い出した。当時、鎌倉にあったジャズ喫茶IZAではなくて、普通の喫茶店だったのが不思議。

生で沖さんを聴いたのは1回だけ。1984年にアラン・シルヴァ、豊住さんとのトリオ。三渓園でやってたYOKOHAMA本牧ジャズ祭。全くフェスティバルの雰囲気とは馴染まない演奏だったけど、ボク的には良かったな。これがキッカケで本牧ジャズ祭の実行委員をやったのが懐かしい。この1984年のセッションをアレンジしたのが、当時、稲村ヶ崎に住んでいて、鎌倉駅西口の超個性派書店「たらば書房」の伊藤さん。保坂和志のHP(いつのだ!)に痕跡を留めるのみ。お元気なのだろうか。
http://www.k-hosaka.com/nonbook/nikkei-6-17.html

 井上ひさしさんが鎌倉に転居したときに、小さい店なのに棚の充実にぶりに感心したのが鎌倉駅西口を出たところにあるたらば書房だった。井上さんは鎌倉ではぜひここを贔屓にしようとは思ったものの念のため、「ここは評論家の江藤淳さんはお見えになりますか?」と聞き、「いいえ」という答が返ってきたので、井上さんは安堵してにっこり微笑み、それ以来亡くなる前まで、井上さんは月に一度お店に来ては、棚が空になるほどごっそり本を買っていった。

 井上さんが買った大量の本を毎回お宅まで配達したのが伊藤さんだ。「たらば書房の伊藤さん」といえば、鎌倉中の読書人で知らない人はいないと言えば少しだけ大袈裟だが、経営者でもないくせに伊藤さんはやたら知られている。実際、伊藤さんの交遊範囲は尋常でなく広くかつ多岐にわたり、その中に小津安二郎の映画に欠かせなかった笠智衆の次男の奥さんで、笠智衆さんと同居していた笠智子さんもいた。

 その笠智子さんと伊藤さんをいつだったか、もうずいぶん前に、「うち(世田谷)の近所に変わった店があるんだ」と言って連れて行ったのが、「中級ユーラシア料理」を謳う日の丸軒で、笠さんも伊藤さんも私の期待をはるかに超えて日の丸軒を喜んだ。レトロというのか昭和モダンというのか大正ロマンというのか、寺山修司というのか横尾忠則というのか、とにかく店内はそういう装飾で、流れる音楽もそういう音楽。しかしなんと言っても一番はマスターのたたずまいで、伊藤さんとマスターははじめて会ったときから、魂の兄弟のように意気投合した。見つめ合う目と目が優しいが熱い。それ以来、日の丸軒は、伊藤さんと笠さんのお気に入りで、特に笠さんは友達を何度も日の丸軒に連れていき、その中に菅伸子さんもいて、菅伸子さんも日の丸軒が大好きになった。

当時は大船に住んでいたので笠美容院は知っていた。近所の会社寮に住んでいたから。湘南らしいさりげない瀟洒な作りで、ときどき二階から笠智衆が顔を出しているという話だったが、見かけたことはなかった。

随分と話は脱線したが、沖さんの訃報を聞いて、40年くらい前の記憶にしばし浸っていた。

合掌。