K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金沢・安江町「こすもす」:角島泉さんの個展「空想の森」に出かけた


古の倭のことば(あえて日本語とは云っていない.日本という国号は七世紀以降だから)のなかでは動物と植物の身体語に関する明瞭な区別はなかったそうだ.漢字の導入により,あたかも全く別個の存在として認知されているに過ぎない.め:眼と芽,は:歯と葉,はな:鼻と花,み:身さらには耳(みを重ねた強調)と実,など動植物の部位を示す共通語が存在している[上垣外憲一:花と山水 の文化誌].日本人の感性は未だにそのような言説に対して本能的な肯定感があり,そのようなことに対して母胎に還るような気持ちになるのではなかろうか.前掲書を眺めたあとに,そのような感覚がつよく沸き上がってきたうえに,早春の医王山,梅雨の金沢や大門山での草木との関わりが確信めいたものを与えている.「彼ら」には「彼ら」の世界があり,意思めいたものがある.それは日本にあまねく近代教育が為される前に,民がごく自然に分かち合っていた感覚に違いない.

そ のようなプリミティブな感性に憧憬のようなものを持つこの頃なのであるが,草花を通してそのような古の感性(に違いないモノ)を縦横無尽に語る角島さん,安江町の花のアトリエ こすもすの店主,の話は驚くほど確信に満ちていて面白い.生きたハナと見つめ合う日々を送っているそうだ.そんな彼女の個展「空想の森」と打楽器の演奏会が開かれるというコトでお邪魔した.ある日の夕刻.梅雨が仕舞い方,そろそろ日が沈み始めた頃.

安江町のある交差点に,とても古い薬局「イヅミ薬局」の家屋をそのまま利用した「花のアトリエ こすもす」がある.とても素晴らしい空間で,昭和初期の三階建ての日本家屋にしつらえられた古い薬局の什器がそのまま残され,野の姿で花・花が並べられている.それらが不思議に調和している空間になっている.

昭和初期の町屋の三階に”空想の森”があった.決して広くはない和の空間に小宇宙が幾つか,見えない磁場を主張していた.特に百合をあしらったモリ,に強く心惹かれた.モリと記したのは,森という漢字の含意よりも広いから.森ではなく,御霊が生まれ帰っていくような懐かしいような鬱蒼とした場所,始原的なお社,御嶽のような...夕刻に眺めて百合に誘われるような艶を感じ,改めて夜半に眺めると強い陰影のなかに黄泉への入口が覗くような感じ.とても強い野生を感じる個展だった.