昨夜は半月が久しぶりの感じで、何となく呑みたくなった。まあ、いつもそんなどうでも良いことを言い訳にして、呑んでいるのだけどね。歩いていると、気温がグイグイ下がっていく様が指先から分かるし、半分の割には月は明るいし、やっぱり金澤だから頬にあたる風が気持よく湿っぽい。呑んでいるときも、ふっと静かになったときの静寂の奥に、どこかしら冬につながるような通路が覗いているような、不思議な感覚の夜だった。夜半過ぎに帰るときには、冷たい雨が降っていて慌ててしまったけど。夜半過ぎに静かに呑んでいると、季節の屈曲点を感じることがあって、面白い、と酒呑みの言い訳。
昨夜は家に宅配の不在通知が投げ込まれていて、郵便局に取りに行ったのだけど、通知を携帯していなくて受け取りを断念。最近はこんなことが少なからずあるのでイヤになる。そんな訳で、その足で呑みに行った次第。
今朝の金澤は昨夜の雨もあがって、とても透明度の高い空から鋭い光が注いでいる。嬉しいことに雲も多く、空がとても大きくみえるし、雲の縁での光の回折が不思議な色合いや立体感を醸し出している。こんな空の秋の日、きっとお仕舞い方の秋の日にはいつまでも微睡んでいたい、と思う。そんな気持ちで、そんな空を見上げて寺町台地を下って通勤。途中、郵便局で届いていたCDを受け取る。
お昼休みの今、それを聴いている。小さなスピーカで。
i) Nikolay Petrov: Works on themes of paganini (1982, Melodia)
収録曲はyoutubeになかったので代わりにドビュッシーの喜びの島
http://www.youtube.com/watch?v=_0sfXSgZXr8&feature=related
ii) Marc-André Hamelin plays Liszt (1992, Hyperion)
収録曲がyoutubeにあった:
http://www.youtube.com/watch?v=uNO9UY3xcn4
クラシックは超初心者なので、i)ヒトに聴く、ii)本を読む、iii)感覚が近そうな方のBLOGを読む、で手当たりしだい(のような感じ)で聴き進めている。そのなかで自分の感覚にヒットするものを更に掘っている。曲が良ければピアニストを替えて異調盤を、ピアニストが良ければその他のアルバムを入手。
クラシックを聴くということは作曲者・演奏家・時空という3次元を旅・あるいは探索するような感覚。一生懸命に自分の好みのベクトルを同定するために聴いたり、BLOGや本を読んでいる感じ。とても面白い。ジャズの場合は演奏家・時空という2次元の中の探索と感じる。だからクラシックの場合は、より深い迷路 に入った感覚・快感がある(恐ろしい)。音楽としては両方隔たりなく好きなのだが、探索の快感、の違いの話。
今日届いたCDは両方とも古本で買ったガイドブックで技巧派と紹介されていたピアニスト。随分前に注文していたもの。なんとも技巧の世界なのだけど、その向こうに何が見えるか感じるのか、ぼんやりと受け止めているトコロ。でも昼休みはお仕舞いなので、帰ってからだなあ。
やっぱり、こんな秋の日には好きなアルバムをかけて、いつまでも微睡んでいたいなあ。