K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Woody Allen: Midnight in Paris (2012) 夜半すぎのパリそして真夏の夜の金澤


 何となく気が休まらぬ仕事も多く、音楽も聴かないで呑むような日々。昨日、雨季の晴れ間のように仕事がふっと抜けて、気持ちが夏休みのように自由になった。背中に羽が生えたような気分になって、自転車のペダルを強く踏み込んで、久しぶりに映画を見に行くことにした。仕事帰りの映画って、なんとなく小さなハレの感覚が、はしゃぎたくなる程楽しい。そんなことができるのは、金澤に来てからだからね。(本当は仕事が抜けたように思ったのは勘違いで、今日は重い仕事。でも、うたかたの夢であっても楽しかったことに変わりない。)

 見に行った映画はウッディ・アレンの真夜中のパリ。もう最初から最後まで、まったく抜かりなく楽しむことができた。アレンのクラリネットのような「あの感じ」の古いジャズではじまり、神経質な独白がアレンそのもの。そしてお上りさん(米人、もちろん日本人も)が抱くsnobなパリへの憧れが直球で描かれる。そして、あの時代のあの場所、1920年代への真摯なrespectと憧憬。本当に素直に心に響くものがあった。マン・レイの写真展で覗き見た1920年代のパリ。そうフィッツジェラルドゼルダヘミングウェイなどの「パリのアメリカ人」。そしてシュールレアリズムの担い手たち。印画紙の上に焼き付けられた彼らが動き、そしてあの時代の狂奔が暖かい眼差しで描かれる。夜半過ぎのパリ、坂道に現れる古き時代の自動車に乗せられるのは主人公だけでない。ボクたちの気持ちも乗せられるのだ。

 ボク達が抱く、純化された過去への憧憬。これを軽くシニカルに手玉に取られた感じも気持ちよかったし、何よりも最後の場面の気持ちよさときたら...

 ボク自身はパリにはあまり行ったことがなくて、もっぱらモンパルナスからブルターニュへ行ってばかり。だからパリには思い出らしいものはないのだけど、久しぶりに行きたくなってしまった。

 本当に幸せな気持ちで映画館を出て、空を見上げると、温い大気の上に蒸されたような半月がぽかり。真夏の夜の金澤だって素敵じゃないか、って思い直したのは本当のこと。とてもいいじゃないか。

 その後は、誘われるように泉が丘のロベール・デュマに向けてペダルを踏み込んだ。シェフの岩城さんも、ボクの前日に見たばかり。何となく、少し話をしたい気分になったのだ。気持ちがすっかり軽くなっていたので、犀川から新櫻坂も一気に駆け上がった。その後はゆっくりと映画の話をしながら、フレンチを食べて、呑んで。とても非日常な覚めて欲しくないような時間を過ごすことができた。気持ちがすっかり夏休み。底抜けに何も縛りがないような感覚に暫し浸っていた。二年ぶりかな。オトナの夏休み。

 

 

 ボクはこんな夜、あと何回、こんな気持ちになれるか考えることがある。加齢したからこそ、時間の味わいに深みが加わる。そして、それがいつか果てることも分かるがゆえに、甘さも強い。だから、そんな夜には酔うまで呑むしかない。フレンチで呑んだ後には、近所のバーまで出かけて時間の果てまで呑んでいた。

 自転車? 酩酊しながらも折りたたんでタクシーに積んで帰ったよ。