足が揃った感覚、って分かって貰えるだろうか
ときどき山に登ったり、走ったりしてする昔からの友達がいる。昨年は劔に登ったり、湘南海岸を小田原まで走ったり。その彼とは,足が揃った感覚、がある。声に出してペース調整をしなくても、自然に山を駆け上ったり、自然に休んだりするような感覚。体の使い方、疲れ方、覚醒のタイミングなんかの具合が概ね一致している。その感覚が、足が揃った感覚。
先日、知己達と金澤市内の居酒屋「いたる」に呑みに行った。ボクが臆病で、最近はあまり新しい店に行っていない話をしたら,その場(とあるバー)に居た何人かで行くことになったのだ。それはともかくとして、酒を呑んでいて「足が揃った感覚」を初体験。3時間強呑んで,2合徳利が15本。3升を6人で呑んだようだ。一糸乱れず、足が揃った感覚、このトシになって恐ろしいことだ。ボクは途中から調子があがって、呑めば呑むほど酔が冷める感覚を味わった。なんでだろうか。
そんなオバカな鯨飲する前にオヨヨ書林で買った古書が、池田満寿夫のエロチックな旅(1996,求龍堂)。僅か63才で亡くなる1年前の出版。オヨヨ書林の棚をみていたら綺麗な表紙と眼があって、連れて帰った。500円也。翌日、名古屋へでかける車中で読みおえた。
池田満寿夫の性体験談と、綺麗に彩色されたリトグラフの春画から構成される楽しい本。デフォルメされた性行為:肉体と肉体の交わりが抽象化されたような感じの図案で,天上の出来事をみているようで美しい。誇張された男根など、細部はそれなりに「あれまあ」なのだけど。体験談のほうは、リアルな話なのだけど、所謂「劣情を誘う」ようなものでもない。幼児期の妹の死と焼場の情景からはじまる語りが、そのことが生と死の間の断章であることを伝えている。死に寄り添うほど生すなわち「エロチックな旅」への想いが濃く沸き上がるのだろう。
澁澤龍彦のはなし、よりは平明で俗な語り口なのだけど。澁澤龍彦のように、なんだか性を語るようで生を語り、そして死が幻灯のように背景にながれていく様が、なんとなく黄昏た気分によく合う読書なのだ。
ここまで書いて、本の表紙も「足が揃った感じ」になっていることに気がついて吹き出してしまった。